ここで少し視点を哲学に移してみます。
ウィトゲンシュタインという哲学者をご存知でしょうか?
彼の有名な言葉のひとつに、こんなものがあります。
「言葉の意味は、その使われ方にある」
――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(『哲学探究』より)
これはどういうことかと言うと、言葉の意味は、辞書的な定義ではなく、実際に人々がそれをどのように使っているかによって決まるという考え方です。
彼は「言語ゲーム」という概念も提唱しました。
会話はまるで“ゲーム”のように、ルールがあり、プレイヤー(話し手と聞き手)がそのルールに従って意味を構築していく。
つまり、言葉は「使われる場面によって意味が変わる」ものだとしたのです。
ウィトゲンシュタインの視点で「タートル・トーク」を考えると、とても興味深いです。
クラッシュは、観客の発言に対して“ふさわしい”返しをしますが、それは必ずしも厳密な意味理解に基づいているわけではありません。
それでも、観客は「クラッシュと会話した!」という満足感を得て、笑ったり感動したりする。
これって、まさにウィトゲンシュタインが言っていたことですよね。
「言葉の意味は、ちゃんと伝わった“感じ”にある」
「会話が成立したという事実が、意味の成立そのもの」
つまり、クラッシュの会話もAIとのやりとりも、「意味があった」ことの証明は、“そこに成立したやりとり”そのものなんです。
AIは確かに“意味を理解している”わけではない。
でも、過去の膨大な言語の使われ方(=使用)を学習し、そのパターンを元に「この場面では、こういう返しが適切」という“ルール”を守っている。
つまり、AIもまた、ある種の“言語ゲーム”をプレイしている存在とも言えるのではないでしょうか。
この考えに立てば、
「意味を理解していないから価値がない」ではなく、
「ちゃんとゲームに参加してるからこそ、意味が生まれている」という見方ができる。
ウィトゲンシュタインの言葉を借りるなら、こう言えるかもしれません。
「クラッシュが何を“理解”していたかは問題ではない。
その場で会話が成立したという事実が、すでに“意味”だった。」
タートル・トークでクラッシュにいじられた人が感動するのも、
AIと深夜に語り合って心が軽くなるのも、
そこに「ちゃんと自分の言葉が受け止められた感覚」があるから。
ウィトゲンシュタイン流に言えば、
“その瞬間、言葉は使われ、意味が立ち上がった”ということなんでしょうね。