※この記事は、以前書いた「嫌いな人のSNSを見てしまう理由とその対策」へのアンサーです。
(検索から来てくださった方は、まずこちらをどうぞ)
前回の記事では、
嫌いな人のSNSを見てしまう理由を、好奇心や比較、
人間の根っこの本能として整理してみました。
あのときはあれで、いちおう“まとめ”を書いたつもりだったんですが、
あの記事を書いた本人の私が、
実は今もSNSでモヤモヤしています。
「もう見ないほうがいい」ってわかってるのに、つい見てしまって、
「あーまたやっちゃったな」とか、
「ちょっと傷ついたかも」なんて思って、
結局そっとスマホを伏せて、ひと口コーヒーを飲む——
そんな日を、50を目前にしたオッサンが、今も定期的に繰り返してるんです。
SNSって、便利だけど面倒で、つながれてありがたいけど、
本気でしんどくなることもあるんですよね。
私もこれまでに何度か「もう無理だ」と思って、
アプリを削除したことがあります。
アカウントごと消そうとしたことも何度かありました。
(ギリギリで思いとどまって、いまだに残ってますが)
2年以上放置してたSNSもあるし、
関係がしんどくなった人をブロックしたこともあります。
怒ったわけじゃなくて、喧嘩したわけでもないんです。
ただ、**「このまま見続けてたら、自分の気持ちが削れてくるな」**って、察しただけなんですよね。
たまにいますよね。
「全部アカウント消しました〜」って、サラッと言える人。
ああいう人を見ると、正直ちょっと羨ましくなります。
何かをスパッと切り替えられる軽やかさ。
過去に未練を持たず、前だけを見て進める感じ。
でも自分はというと——
消す直前でためらったり、
「この写真だけは残しておきたい」とか、
「また連絡とりたくなるかもな…」なんて思ったりして、
完全には切れないまま、ずるずる残してしまう。
そんな自分にちょっと情けなさを感じることもあるけれど、
でも、それはそれで仕方ないよなとも思います。
その“迷い”には、これまでの時間や思い出や、
うまくいかなかったことすら含めた、自分なりの誠実さが詰まってるから。
だから私は、リセットできないことを「弱さ」だと思わないようにしています。
嫌いな人のSNSって、基本的には見たくないんです。
でもなぜか、見てしまう。
見たあと、モヤモヤしたり、自己嫌悪に襲われたり、
「ダサいな、オレ」と思うこともある。
でも、見るんですよね。
たぶん、
「過去にされたことがまだ引っかかってる」
「どこかで勝ちたかった、認められたかった」
「納得できないまま終わった関係だった」
——そんな、**気持ちの“取りこぼし”**がまだ心に残ってるんです。
「ブロックしちゃえばいいじゃん」「ミュートすれば?」
たしかに、そうなんですけど……
そう簡単にできないのが人間なんですよね。
「ブロックするほどでもないけど、見たくない」
「見ない方がいいのに、なぜか見ちゃう」
この“間”にいる相手が、いちばん厄介。
でも、そんなふうに揺れてるのって、
「気持ちをごまかさずに見ている」ということでもあります。
それはむしろ、ちゃんと向き合ってる証拠だと、今は思っています。
SNSって、焚き火みたいな場所です。
消えかけてた火種を、勝手にゴーッと燃やしてくる。
誰かのキラキラした日常報告や、妙に自信満々な投稿を見て、
「なにくそ」と思ったり、
「自分だけ置いてかれてる気がする」と落ち込んだり。
過去の記憶や、片付いてない感情が、
ふいに揺さぶられてしまう。
だから、疲れたら距離を取っていい。
アプリを削除するだけでも、呼吸がしやすくなることがあります。
それだって、立派な“整え方”のひとつです。
オッサンになっても、感情の整理はうまくなりません。
むしろ、揺れたり、疲れたりすることは、若いころより増えてるかもしれません。
でも、それでもSNSを開いてしまうし、
誰かの投稿に反応してしまうし、
落ち込んだり、ホッとしたりもしながら、
なんとか今日もやりすごしてる。
たぶんこれからも、そういう日々が続くと思います。
でもそれでいい。
整ってなくても、ちゃんと前に進めてるなら、それでいい。
SNSがしんどくなったとき、
誰かの投稿が心をざわつかせたとき、
もしこの文章を思い出してくれたら嬉しいです。
オッサンもまだ、迷いながら生きてます。
でも、迷いながらでも、ちゃんと生きてます。