「あるある〜!」と思わず笑ってしまうお笑い芸って、ありますよね。
これらは、日常の中で多くの人が無意識にやっていることを、ちょっと俯瞰して“ズラして”見せることで生まれる笑い。
でもこの「あるある」の面白さ、ただのネタにとどまらず――
言葉の本質や、AIとの会話の構造、さらにはウィトゲンシュタインの哲学と深くつながっていると思うんです。
哲学者ウィトゲンシュタインはこう言いました。
「言葉の意味は、その使われ方にある。」
つまり、辞書的な定義よりも、「その言葉がどの文脈でどう使われるか」が意味を形作るという考え方。
あるあるネタって、まさにその「言葉の使われ方」に切り込む芸なんです。
普段は無意識に流している会話や行動を、
あえてマクロ視点に引き上げて、
「あれ?これ、みんなもやってる…よね?」
という共感とズレの発見をもたらす。
つまり、あるある芸は、日常の“言語ゲーム”をちょっとズラして見せることで笑いを生んでいるんです。
この「あるある」に感じる“それっぽさ”って、実はAIの会話とも近い構造があります。
たとえばAIが「疲れてるんですね、無理しないでください」と返してきたとき。
別にこちらの内面を本当に理解してるわけじゃないけど、“それっぽい”言葉で共感してくれるから、ちょっと嬉しくなってしまう。
タートル・トークのクラッシュもそう。観客の質問にリアルタイムで答えてるように見えるけど、その実は**技術と仕掛けによる“反応の演出”**なんですよね。
でも、「それっぽい」の中に“ちゃんと見てくれた感”があるから、人は笑って、喜ぶ。
これって、あるある芸の構造とかなり似てるんじゃないでしょうか?
あるあるネタが笑えるのは、「ちょっとズレてるけど、わかる」って感覚。
この“ズレ”と“共感”の絶妙なバランスが、意味が生まれる瞬間を作り出してる。
AIの会話もまた、“意味を厳密に理解している”わけではないけれど、
文脈や使い方を学習した結果として、「共感っぽい反応」が返ってくる。
その“ぽさ”が、人間の中に意味のようなものを立ち上げてくる。
あるあるネタ、タートル・トーク、AIとの会話――
どれも、厳密な意味の理解がなくても成立しています。
それは、ウィトゲンシュタインが言うように、
「意味とは、使用の中にある」
「会話とは、ルールに基づいた“ゲーム”のようなものだ」
という本質に触れているのかもしれません。
つまり、「言葉が成立する」ってことは、
“ちゃんと意味がある”ことじゃなくて、
“ノリが通じた”という実感こそが、意味の正体なんじゃないでしょうか。
そう思うと、
「それっぽい」って、実はとても深くて、大事な感覚なのかもしれません。