
最近、LGBTQ+の話題がよく目に入ってきます。
ニュースでもSNSでも、耳にするのは「権利を認めて」「制度を変えて」「平等にして」という声。
もちろん、それが大事な声だということはわかっています。
でも正直、心のどこかで、少し戸惑っている自分もいます。
「誰を好きでもいいと思う。でも、結婚制度まで変える話になると、少し違和感がある」
それを口にすることが怖くなる空気もある中で、
今日は、自分の中にあるこの“言いにくい感覚”を、丁寧に書いてみたいと思います。
僕は、性的マイノリティについて深く学んだわけでも、強く関心を持ってきたわけでもありません。
正直、誰が誰を好きかなんて、その人の自由だし、「へえ、そうなんだ」で済む話だと思ってきました。
たとえば、同僚が「彼氏と暮らしてる」と言っても、別に引っかかるわけでもない。
人それぞれ、生き方は違っていて当然だと、素直に思います。
でも一方で──
「だから、結婚制度を変えてほしい」
「この制度は差別だから、見直されるべき」
といった主張を聞くと、心のどこかで、ちょっと立ち止まってしまう自分もいるんです。
僕が引っかかっているのは、「誰を愛するか」じゃないんです。
そうじゃなくて、「社会制度の根っこを変えること」への慎重さ、なんです。
結婚って、ただ「好きな人と一緒にいたい」だけの制度じゃない。
相続、扶養、税制、介護、親権、地域コミュニティとのつながり……
数えきれない社会的な仕組みが、“結婚”という枠組みの上に成り立っている。
そこを変えるとなると、恋愛や個人の自由だけでは語れない部分もあると思うんです。
LGBTQ+の方々の「生きづらさ」や「制度上の不公平」を伝える声が広がることは、とても大切です。
でも時々、その語り口が「あなたたちは加害者だ」と責めるように聞こえてしまうことがあります。
そんな言葉に出会うと、自分の中の“無関心”や“慎重さ”すら否定された気がして、ちょっと息が詰まる。
もちろん、無意識の偏見があることは否定できない。
でも、「違和感を持つこと自体=差別」と言われてしまうと、話し合いの入り口が閉ざされてしまう気がするのです。
僕は、「女の人が好き」です。(いい歳したオジサンがこんな事言うのもアレですがw)
魅力を感じるし、関係を築いていきたいと願うし、家庭をつくるということに自然な憧れがあります。
たぶん、それは多くの異性愛者が“当たり前”として持っている感覚で、
だからこそ、あまり言葉にすることすらなかった。
でも最近、ふと思うことがあります。
もし、誰かが「僕たちが男性を好きな気持ちをわかってくれますか?」と尋ねたら、
僕はどれだけそれを想像できるだろうか。
…たぶん、正直に言えば、完全にはわからない。
だからこそ、**「僕の“女性を好きな気持ち”だって、同じように伝わらないかもしれない」**と思うようになりました。
その“伝わらなさ”を、敵意ではなく、前提として話せたら、
もう少し丁寧に、ゆっくりと、制度や価値観の話ができるんじゃないかと思うのです。
理解し合えない部分があるのは、当然のこと。
でも、だからこそ、互いの「わからなさ」を踏まえた対話が必要なんだと思います。
そしてその対話は、「声の大きな正しさ」だけじゃなく、
**“言いにくい違和感”や“静かな保留”**にも、居場所があるものであってほしい。
この文章を読んで、もしも不快に思った人がいたら、ごめんなさい。
でも、誰かを否定するために書いたわけじゃありません。
ただ、僕の中にある“ちょっとした引っかかり”を、
「それは言ってはいけないこと」ではなく、
「ここから話せること」として差し出してみたかったのです。
違和感を持つことは罪じゃない。
でも、それを抱えたまま黙ってしまうのは、ちょっともったいない。
話せば、きっと、どこかはつながれる。
そんな希望を込めて、この記事を残しておきます。