饒舌なる静かな多様性論者のブログ

多様性のジレンマ──「個人の幸福」と「社会の未来」は両立できるのか?

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「自由」の先にある“責任”という投資 

「自由であること」が大切だと、私は信じています。

子どもの頃から民主主義の価値観を学び、個人の選択や多様性を尊重する教育を受けて育ってきました。だからこそ、LGBTQ+の権利が認められたり、非婚や多様なライフスタイルが普通になってきたりすることには、基本的にポジティブな感情を持っています。

でも、同時にこうも思うのです。

「自由であるって、実はしんどくないか?」

選択のストレスという“自由の裏面”

選択肢が多いということは、一見すると「可能性が広がる」ように見えます。けれど、実際にその自由の只中に立ってみると、違った重さが見えてきました。

全部、自分で決めなきゃいけない。そして、どの選択にも“保証”はない。
それが、想像以上にしんどいんです。

結婚する?しない?
子どもを持つ?持たない?
正社員か、フリーランスか?
どれを選ぶにしても、「正解」はなく、結果の責任はすべて自分に返ってくる。

「こうしなければならない」から解放されたはずなのに、「何を選べばいいか分からない」という不安に襲われる。これは自由がもたらす、ある種の孤独や負荷です。

若くて健康なうちは自由を謳歌できますが、年齢を重ねたとき、ふとこの「選んだ結果」と向き合う瞬間が訪れます。

子育てという“非合理”のなかにあった意味

私は今、結婚して子どもが一人います。

子育ては……正直、ものすごく大変です。
夜泣き、仕事との両立、家計のやりくり、夫婦のすれ違い。
現実として、お金も時間も体力も自由も奪われる。
“合理的に見れば、コスパが悪い”と思っても不思議ではありません。

でもそんななかで、ひとつ感じたことがあります。

「人生って、こういうことかもしれない。」

自分の思い通りにいかない他者(=子ども)と向き合い、育て、関わる中で、たくさんの気づきがあった。
「責任」という、自由の対極にあるようなものが、人生を深くしてくれる──
そんな逆説的な体験でした。

少子化は“合理的選択”の帰結か?

それでも、子育てには相当な覚悟が必要です。

多くの人が「子どもを持たない」という選択をするのも、現実的に理解できます。
経済的不安、パートナーとの関係性、ライフスタイルの優先──
合理的に考えれば、“子育てはハイリスク・ローリターン”にも見えてしまう。

自由であることが尊ばれる今の社会では、こうした「面倒なこと」「時間もコストもかかること」を避ける流れが自然に生まれてきます。結果、それが“合理的な少子化”として数字に現れている。

もちろん、「持たない自由」も、「持てない現実」も、どちらも存在しています。
でも同時に、「楽だから持たない」という声も確かにある──それは、選択の自由が進んだ結果として否定しがたい現実です。

「出生率上昇」と多様性のジレンマ

ときどき、「多様性を受け入れている国のほうが出生率も高い」という意見を聞きます。

たしかに、アメリカなど一部の国では出生率が上昇した時期がありました。
でもその多くは、移民による出生率の高さに起因しています。

例:2017年のアメリカでは、移民女性の出生率は2.18に対し、アメリカ生まれの女性は1.76(IMF, 2020)

さらに、移民も数世代を経るとその国の文化に同化し、出生率が下がっていくという研究もあります(Springer, 2024)。
つまり、これは一時的な緩和策であって、根本的な持続性の解決策ではないということです。

自由と持続性のあいだにあるジレンマ

自由が行きすぎると、社会が持続しなくなる。
持続を強調しすぎると、個人の自由が奪われていく。

そのあいだで、どちらか一方を選ぶのではなく、両立の道を探る必要がある
私はそのヒントが、「責任ある自由の再評価」にあると思っています。

子育てや結婚のような“重たい選択”を、社会全体で「前向きに支える」空気を作ること。
責任ある行為を「損」とせず、「未来への投資」と捉え直す発想が、今こそ必要ではないでしょうか。

子どもを持つことは、未来を想像する力

私自身、「自由が大事だ」という気持ちは今も変わりません。
でも、自由の先には「選択の重さ」があり、そして「責任」という重さもある。
そしてその重さは、未来とつながっている──そう強く感じます。

今この瞬間だけを見ると、子育てはしんどいし、損に見える。
でも、10年後、20年後、そしてもっと先。
自分が老いたとき、社会がどうなっているかを想像するとき、
今の選択にこそ“逆転の価値”が眠っている気がするのです。

「あえて責任を引き受ける自由」へ

だからこそ私は、「自由のなかで、あえて責任を選ぶこと」が、これからの時代のひとつの価値になると信じています。

それは報われない可能性もある。
でも、投資とはそもそも、未来を信じる行為ではないでしょうか。

補足:多様性を語る社会で「安定」を求める人々

ところで、自由や多様性を重視するこの社会で、「結婚相手に求める職業」で最も人気があるのは公務員だそうです。
これは決して矛盾ではなく、自由の不安を“安定”で埋めたいという感情の表れかもしれません。

終わりに:未来を見据えた“共感の再設計”を

この文章は、「自由=正義」「責任=抑圧」といった二項対立では語れない、もっと繊細な問いを投げかけるものです。

誰かの選択を否定するためでも、特定の価値観を押しつけるためでもありません。

ただ、「今だけの合理性」がもたらす“長期的な不合理”に、私たちはどこかで気づき始めているのではないか。
その視点を共有しながら、個人と社会がともに生きられる未来を、静かに問い直したいのです

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