饒舌なる静かな多様性論者のブログ

原爆は“必要悪”だったのか──問いの中に立ち続ける私の中のヒロシマ

このサイトはプロモーションを含んでいます。

広島で育ち、平和学習に育てられた私の“常識”と、その先にある問い

「原爆は絶対に許されない」
私は、そう信じて育ちました。広島で生まれ、小学生の頃から何度も原爆資料館を訪れ、語り部の話に耳を傾け、8月6日には黙祷を捧げてきたからです。

広島の周辺都市に住んでいた私の一族に直接の被爆者はいませんでしたが祖母も叔父も二次被爆をしており、それは決して「遠くの何処かの話」ではありませんでした。

「二度と繰り返してはいけない」──それは当たり前のこととして、空気のように私の中にありました。

原爆によって命を奪われたのは、赤ん坊、学生、妊婦、老人──戦争とは無関係な人々でした。教科書も、家族も、学校の先生も、原爆は“悪”であり、“非人道的な兵器”であり、“決して肯定されるべきではない”ものとして語りました。

でも、大人になった今、ふと思うのです。
「どうすれば、本当に“二度と繰り返させない”と言えるのだろうか?」
ただ「原爆は悪だ」と唱えるだけでは、再び同じ過ちが繰り返されないとは限らないのではないか──。
その問いから、この文章は始まりました。

沖縄の壕の中で感じたこと

高校の修学旅行で沖縄を訪れたときのことです。
観光地としての明るさとは裏腹に、私の心に最も強く残ったのは、ひとつの壕(ごう)でした。
ガイドに案内されて入ったその壕の中は、ひんやりとした空気が漂い、岩肌は崩れかけ、湿った匂いが充満していました。

そこで語られたのは、空襲を避けて身を潜めた住民たちが、やがて飢え、病に倒れ、そして自決に追い込まれていったという現実でした。

「これが、全国で起きていたら──」
そう想像した瞬間、背筋が凍りました。
もし東京や大阪、そして広島でも、同じ地獄が広がっていたとしたら──。

そして、私はふと、こう思ってしまったのです。
「原爆で終わったのは、まだ“マシ”だったのかもしれない」と。

この考えは、沖縄戦の犠牲者が20万人にのぼると知ったことで、より現実味を帯びました。
もし同じような戦闘が全国に広がっていたら──死者は100万人を超えていたかもしれない。

若い頃の私は、単純な功利主義的な発想──「犠牲が少ないほうがマシだ」という考えに囚われていたのかもしれません。
同時に、どこかで広島の“平和主義”を押し付けがましく感じていたこともあり、それに反発するような思いもあったのです。

けれど、もしその“マシだったのかもしれない”という直感を、数字や歴史的背景から改めて検証したとしたら──
果たして、私たちは同じ結論に至るのでしょうか?

「原爆がなかったら、どうなっていたのか」──“終戦は可能だった”という説

大人になり、戦争や外交に関する本や記事をを読みあさるうちに、再び「原爆は必要だったのか?」という問いに直面しました。

ある資料で出会ったのが、こんな説です。
「日本はすでに継戦能力を失っていた。原爆は戦争を終わらせるためではなく、ソ連への威嚇として使われたのだ。」

その瞬間、「やはり原爆は不要だったのではないか」と思いました。
倫理的にも、政治的にも、他に選択肢はあったはずだと。

AIでシミュレーションしてみて、思考が揺らいだ

その後、私はふとしたきっかけで、AIと共に、さまざまな終戦シナリオにおける死者数をシミュレーションしてみることにしました。
たとえば:

  • A:原爆を使い、ソ連も戦争に参加(※史実)
  • A′:原爆は使わず、ソ連だけが戦争に参加
  • B:原爆なし、ソ連は遅延参戦 → 九州にアメリカが上陸
  • C:アメリカが東京(関東)に上陸、ソ連は遅延参戦
  • D:本土(日本全体)での決戦

これらのケースで、連合軍・日本軍・民間人それぞれの死者数を、沖縄戦やベルリン陥落などの実データをもとにAIに推定させました。

「本当にこの数字は信じていいのか?」
AIが原爆を“正当化”するような答えを出していないか?
私は何度も問い直し、エビデンスの根拠を一つ一つ検証しながら、慎重に進めました。

終戦シナリオごとの死者数比較(AI試算)

シナリオ🇺🇸 連合軍将兵🇯🇵 日本軍将兵🧝‍♀️ 日本民間人🔢 合計(最小~最大)
A 原爆+ソ連(実際)1万~2万8万~10万18万~22万約27万~34万人
A′ ソ連のみ、原爆なし1.5万~2.5万10万~15万20万~30万約31.5万~47.5万人
B 米軍九州上陸+ソ連遅延参戦2万~5万100万~200万70万~130万約172万~335万人
C 関東上陸+遅延参戦3万~8万150万~300万100万~200万約253万~508万人
D 本土決戦・完全孤立5万~10万200万~400万150万~300万約355万~710万人

その結果、私が驚いたのは原爆が使用され、ソ連が8月9日に対日戦を開始した史実通りのシナリオが最も犠牲者が少なかったのです。

A′(原爆なし+ソ連参戦)という、よく歴史家が原爆の是非を問う際に使用するシナリオでも、民間人に原爆の犠牲者を超える20万~30万人の死者が出ていた可能性があるという試算でした。

「原爆がなくても、すぐに終戦していたはず」
──そう思い込んでいた自分にとって、この数字は衝撃でした。

もちろん、こうしたシミュレーションも絶対ではありません。
近年の歴史研究の中には、「ソ連の参戦だけで8月下旬には終戦できたはず」という見解もあります。
もしそれが現実になっていたなら、原爆がなくとも数万人程度の追加犠牲で済んだ可能性もある──その仮説にも、私は耳を傾けたいと思います。

けれどその一方で、私は今も確信を持って言えることがあるのです。
たとえ“犠牲の数”で原爆の意味を論じたとしても、それだけで「正当」とは言えない、と。

「見えやすい死」と「見えにくい死」──判断をゆがめるもの

原爆が止めたのは、空襲でした。
原爆がなければ、米軍は無差別空襲を続けていたでしょう。たとえソ連の参戦が「決定打」だったとしても、天皇の聖断や軍部の説得には時間がかかり、2週間から数ヶ月の空白があった事は想像に難くありません。

その間に、空襲、満洲での戦闘、ソ連の侵攻、避難民の混乱──
さまざまな「見えにくい死」が、積み重なっていた可能性があります。

たとえば:

  • 空襲による焼死や圧死(当然、広島も長崎も空襲にさらされた)
  • 引き揚げ民が逃げる途中で凍死・餓死・殺害される
  • シベリア抑留や満洲での略奪・強姦・虐殺

これらの死は、原爆のように“一度に起きた目に見える破壊”ではありません。
ばらばらに起きて、歴史の記録にも残りづらい──だからこそ、見えにくい。

原爆のように、一度に多くの命が失われる「見えやすい死」は、感情を直撃します。
だからこそ、人はすぐに「許せない」と思える。
一方で、飢餓や抑留、空襲のなかでぽつぽつと失われていった命は、数が同じでも重さが違って見えてしまう
それが、「見えにくい死」の怖さです。
だからこそ、「倫理的に正しい」という選択をするためには、その裏で起きうる“見えない犠牲”にも目を向けなければならないと思います。

結局のところ、「より少ない犠牲で済んだかどうか」という数字の話と、
「その手段が許されるかどうか」という倫理の話は、決して単純に重ねられるものではない。
だから私は、どちらか一方に傾くことなく、問い続けたいのです。

倫理のパラドックス──“人道的”に見える選択が生む、もうひとつの非人道

「原爆は使ってはいけない」
この思いは、倫理的にはまっとうです。
でも、もしその選択が、より多くの命を奪っていたとしたら──?

「正しい手段」を選ぼうとして、「最悪の結果」を生む。
それは、倫理的に“正しくあろうとした”ことが、逆に人を見捨てる選択になるという、難しい矛盾です。

この矛盾は、カントの義務論──「人間を決して手段として扱ってはならない」という思想にも潜んでいます。
理念を貫こうとするあまり、現実の犠牲に目を閉ざしてしまう危険。

たとえば、「原爆を使わない」ことを倫理的に選んだとして、その結果、数百万人の命が失われるとしたら?
それでもなお、「使わないことが正しい」と言いきれるのか。
倫理的に“まっとう”な判断が、かえって“多くを見捨てる選択”になってしまう。
そのとき私たちは、「正しさ」と「現実」のどちらに目を向けるべきなのでしょうか。

“秩序のコスト”としての原爆──功利主義と現実のはざまで

近年、「原爆がなくても、ソ連の参戦によって日本は降伏していた」という見方が強まっています。
その意味で、軍事的には原爆投下は“不要”だったのかもしれません。

しかし一方で、原爆という圧倒的な力の誇示が、ソ連の極東進出を抑止したという説もあります。
実際、ソ連は満洲・樺太・千島に侵攻しましたが、日本本土や北海道への進出は食い止められました。
もし原爆がなければ、日本もまた東西に分断されていた可能性は十分にあります。

そう考えると、原爆投下は「日本の統一と戦後秩序の安定」という側面も持っていたのかもしれません。
“正義”かどうかは別として、“最悪を避ける合理的な判断”だったという評価は、一定の説得力を持ちます。

でも、それでも私は、あの行為を「正しかった」と言いたくはありません。
なぜならそれは、非戦闘員を無差別に殺した“過ち”であることに変わりはないからです。

おわりに|“記憶する”という選択──その両義的な痛みを抱えたまま

広島で受けた平和教育は、たしかに大切なものでした。
原爆がもたらした苦しみを、忘れてはいけない。
あの熱、あの光、あの声──
それを語り継ぐことが、戦後の日本にとって「はじまり」であり、「誓い」でもあったはずです。

けれど、大人になった今、思うのです。
「原爆は絶対にダメだ」と教えるだけでは、どこか片手落ちなのではないか、と。
そこに「なぜ?」がなければ、ただの拒否で終わってしまうのではないか。

なぜ原爆が使われたのか。
本当に他に選択肢はなかったのか。
もし使われなかったとしたら、もっと多くの命が失われていたのかもしれない。
──そうした問いは、私が広島で学んだ平和教育の中には、あまり登場しませんでした。

それは、苦しみを伝えるためには必要な“片側の真実”だったのだと思います。
でも、「どうすれば二度と使わせないか」という問いに進むには、もう一歩、踏み込んだ思考が必要です。

そして、たとえその問いに“正解”はなかったとしても、問い続けるという態度こそが、記憶を生きたものに変えるのではないでしょうか。

原爆を「絶対に許されない」と思うことと、
「なぜ、あの日それが使われたのか」を考えることは、矛盾しない。
むしろ後者がなければ、前者は空回りしてしまうかもしれない。

もし、私たちが「なぜそれが起きたのか」を自分の言葉で考え抜いた先に、
「それでもやはり、原爆は許されない」と言えるなら、
その言葉は、もっと強く、深く、誰かに届くのではないかと思うのです。

問いを持つこと。
揺れること。
それでも言葉にすること。
それが、記憶の継承であり、祈りの形なのだと思います。

「原爆は、許されない」。
私はその気持ちを、今も変えずに抱えています。
けれど同時に、「なぜそれが起きたのか」という問いと、
「もし違う選択がされていたら、何が変わったのか」という想像とを、
これからも捨てずにいたいと思うのです。

過去を記憶するとは、正義だけを語ることではない。
過去の中に沈んだ迷いや矛盾、苦しさを、そのまま受けとめること。

私たちは、あの日から続く問いの中に、今も立たされています。
ならばこそ、問いをやめないこと。
その問いを、次の世代にも手渡していくこと。

それが「二度と使わせない」という願いを、本当に現実に変えるための、小さな一歩になるのではないでしょうか。

この記事を書いた人
SNSでフォローする