饒舌なる静かな多様性論者のブログ

原爆資料館の入場料を核保有国の観光客は倍にするというアイディア

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先日、原爆資料館の前に長蛇の列ができているというニュースを耳にしました。

広島平和記念資料館に集まる人々の姿は、平和に対する関心の高さ、そして戦争の記憶を自分のものとして受け止めようとする意志の現れだと感じます。なかには、核兵器を保有する国から訪れている観光客もいます。そうした光景を前に、私はふと、皮肉を交えた思考実験をしてみました。

たとえば、こんな提案はどうでしょうか。

核兵器を保有する国から来た観光客に対して、資料館の入場料を2倍に設定する
この狙いは、「核を持つという選択が、世界全体にどれほどの“コスト”を強いているか」を、象徴的に可視化することです。莫大な軍事予算、外交の緊張、誤発射のリスク、そして日常的に広がる不安。核の存在が生み出しているこれらの“負担”を、数字というかたちで突きつける――そんな意図です。

逆に、こんな考え方もあります。

同じく核保有国の観光客に対して、今度は入場料を半額にする
この場合は、「あなたの国が持つ核兵器と、正面から向き合ってほしい」というメッセージです。より多くの人に足を運んでもらい、被爆の実相に触れてもらう。そして静かに、展示の一つひとつと対峙する中で、核の現実を自分の問題として考えてもらいたい。

いずれの案にも共通しているのは、「あなたの国の核政策を、あなた自身がどう考えるか」という問いかけです。
国の行為に対する責任を、完全に個人に転嫁することはできません。しかし、民主主義の国において、主権者とはまさにその国の市民であり、選択と無関心の先にある結果には、一定の関与があるとも言えます。

もちろん、こうした料金設定を現実に導入すべきとは思いません。国籍による扱いの違いは差別と受け取られる危険性が高く、資料館の掲げる「すべての人に開かれた学びと祈りの場」という理念とも矛盾します。

それでも、こうした逆説的なアイディアを思考実験として提示することには、一定の意味があるのではないかと感じています。
“もしそんな制度があったら?”という仮定は、静かに、しかし鋭く私たちに問いかけてきます。

——あなたの国の核兵器について、あなた自身はどう思っていますか?

原爆資料館が伝えているのは、「過去の出来事」ではなく、「いまのあなたと世界」に向けたメッセージです。皮肉の中に潜むこの問いが、私たち一人ひとりにとって、平和を考える入り口となればと願っています。

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