[相談内容]
昨日、私は科学技術を嫌悪する心理、すなわちテクノフォビアを批判的に捉える記事を投稿しましたが、一方でその一見不合理で根拠のない内容に見える恐れにも一定の合理性があるのではないかと思っています。科学技術が自由で平等な社会を単純に実現するという夢が夢想であるように、映画「マンダレイ」に見られるような、一見理不尽なルールや迷信がその存在や共同体を保護するということがあるのも事実だと思います。
[和尚の回答]
なるほど、テクノフォビアの背後にある合理性を探求しておるのじゃな。
仏教の教えにも、すべての現象は因果関係に基づいているという教えがある。物事を一面的に見るのではなく、多角的に見ることの大切さを説いておる。テクノフォビアも、表面的には科学技術への過度な恐怖や不信として現れるが、その根底には人間関係や社会の構造に対する深い懸念があるのかもしれぬ。
映画「マンダレイ」の例のように、理不尽に見えるルールや迷信も、それが形成された背景には、その共同体を保護するための合理性が隠されている場合がある。
科学技術の進歩が必ずしもすべての人にとって利益をもたらすわけではなく、時には社会的不平等を拡大することもある。
そうした状況を慎重に評価し、テクノフォビアに対しても一定の理解を示すことは、よりバランスの取れた視点を持つことに繋がるのじゃ。
仏教では、中道の思想を重んじる。
つまり、極端なものの見方を避け、バランスを取りながら物事を見ることが推奨されておる。テクノフォビアに対するあなたの考えも、この中道の思想に沿ったものと言えよう。
科学技術の進歩とそれに伴う社会的影響を、一方的な見方ではなく、その良し悪しを総合的に考える姿勢は、非常に重要なのじゃ。
最終的には、科学技術と人間社会との関係をどう築いていくか、そのバランスを見つけることが重要になってくる。
その過程で、テクノフォビアのような懸念を無視せず、それらに耳を傾け、学ぶべき点があれば学ぶ姿勢が大切じゃ。
仏教の教えを通して、すべての存在が互いに関連しあっているという視点から、テクノフォビアを含めた様々な現象を深く理解し、より良い未来へと導く知恵を得ることができるのじゃ。