部屋を片付けられない人のブログ

AI技術の進歩と芸術表現についての悩み

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[相談内容]

AIの利便性を活かしていろいろと仕事に使っている私ですが、AIによる絵の生成には何かしらの嫌悪感を感じます。これは気のせいでしょうか?

その昔、写真家を目指していたものです。かつては「カメラを持ち歩く人」のみが写真芸術を創造していたと感じます。しかし、今では誰もがスマートフォンを持ち、写真を撮り、共有する時代になりました。同様に、絵画もAIの台頭により、「絵が描けない人」でも創作が可能になりました。それにもかかわらず、AIによる絵の生成には何かしらの嫌悪感を感じます。これは気のせいでしょうか?

[和尚の回答]

変化に対する抵抗感は、しばしば「執着」から生じるものじゃ。

なるほど、技術の進歩によって芸術の門戸が広がり、誰もが創作者となれる時代になったのじゃな。しかし、その変化に対する違和感や嫌悪感を抱くのもまた人間の心の動きじゃな。

仏教では、すべての現象は「無常」であり、変化するものであると教えておる。

変化に対する抵抗感は、しばしば「執着」から生じるものじゃ。人々は慣れ親しんだものや、自分たちのアイデンティティと密接に関わるものに強く執着する傾向がある。技術の進化がもたらす変化は、その執着を揺さぶり、不安や恐れ、時には拒絶の感情を引き起こすことがあるのじゃ。

また、「AIによる創作活動」に対する嫌悪感は、人間の創造性やアートに対する独自性、オリジナリティへの価値観が根底にあるのかもしれん。

しかし、仏教は「空(くう)」の概念を通じて、あらゆる存在や現象は相互に依存しあって成り立っており、独立した固有の自我や本質は存在しないと教えておる。

この観点から見れば、AIによる創作もまた、無数の因縁の結果として現れた一つの表現形態に過ぎないのじゃ。

嫌悪感を感じること自体は、気のせいではなく、あなたの心が現在の変化に対して感じている反応の一つじゃ。

しかし、その感情を通じて自己の内面を見つめ、変化を受け入れる姿勢を育むことが、仏教の教えにも通じる道じゃろう。技術の進歩によって芸術がどのように変わろうとも、創作の根底にあるのは、表現したいという人間の根源的な欲求じゃ。この普遍的な欲求を大切にしながら、新たな表現方法を探求する心の広がりを持つことが、今の時代における芸術のあり方じゃないかと思うのじゃ。

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