部屋を片付けられない人のブログ

変わりゆく私の日常:ナチュラルからハイテクへのシフト

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昔は、私も「ナチュラル派」だったと思います。風邪を引いた時、医者の診察室に駆け込むよりも、もっぱら自宅で温かい布団にくるまり、じっと体力の回復を待つのが常でした。熱が出ても、自然の力を信じ、じっくりと時間をかけて治るのを待つ。それが私のスタイルでした。

風邪を引くということは、それは自分の体が自然界と対話している証拠であり、安静にして自然の力に身を任せることが最善と信じて疑わなかったのです。しかし、年齢を重ねるごとに、私のその姿勢にも変化が見え始めました。

今では、体調が少しでも崩れると、すぐに科学的な解決策を求めてしまいます。何故でしょう? 風邪の一つや二つ、自宅でゆっくり休めば治るはずなのに、すぐに医者の診断を仰ぎ、薬で症状を抑えようとする。この変化は、単なる老化のせいでしょうか、それとも何かもっと深い文化的シフトの影響を受けているのでしょうか?

また、エアコンについても同様です。若かりし頃は、夏場でも窓を大きく開け放ち、自然の風で涼をとるのが一般的でした。エアコンなど稀にしか使わず、どちらかというと扇風機を回してその風にあたることが多かったです。しかし今では、屋外の気候に左右されずに、室内の温度や湿度を一定に保てるエアコンのありがたみを痛感しています。家の中を一歩も出ずとも、四季を通じて快適に過ごせるようになったのですから、これほど便利なことはありません。

昔の私は、エアコンを使わずに自然の風を楽しんだものです。夏の暑い日でも、窓全開で外の空気を家に招き入れ、自然と一体になる喜びを感じていました。それが今では、屋内の快適な環境を維持するために、高性能なエアコンに依存しています。外の世界との境界を閉ざし、人工的にコントロールされた空間で生活することが、いつの間にか日常となってしまいました。

この変化には、否応なしに自己反省が伴います。私たちは便利さや快適さを追求するあまり、自然とのつながりを蔑ろにしているのではないでしょうか? もしかしたら、私たちの忍耐力が失われ、すぐに解決策を求める現代社会の速さに染まってしまっているのかもしれません。私自身も、その流れに飲み込まれ、かつての「ナチュラルな自分」から徐々に遠ざかっていることを感じずにはいられません。

これらの変化を振り返りながら、ふと考えます。昔の私はもっと大らかで、何事も自然の流れに任せることができたのに、いつの間にか小さな不便さも許せない「快適至上主義者」に変わってしまったのかもしれません。科学技術が進歩するにつれ、私たちの耐性や忍耐も少しずつ薄れているように感じるのをどのように受け止めていいのか少し戸惑っています。

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