饒舌なる静かな多様性論者のブログ

iPad miniが欲しい。でもiPad Proの万能感が忘れられない僕は、いまだぐるぐるしている。

このサイトはプロモーションを含んでいます。

iPad miniが欲しい。
それも、けっこう本気で欲しくなっている。

きっかけはシンプルだった。
「iPad Pro、重くない?」とふと思ったのだ。

僕は現在、Mac Studioをメインに、サブノートとしてM1 MacBook Air、そしてiPad Pro 11インチ(第2世代)を持っている。
スマホはPixel 6。
これだけ揃っていれば、たいていのことは困らない。

でも――iPad Proを持って出かけようとすると、なんかこう、肩にずっしり来る。

徒歩でも、車移動でも、“ちょっとだけ持っていこうかな”と思えない絶妙な重さと大きさ
本当に必要な時だけ連れていく。そんな存在になってきた。

じゃあiPad Proを使っていないのかというと、そんなことはない。
むしろ、家にいるときのiPad Proは無双である。

  • 電子書籍が見開きで読める。図版が多い書籍もストレスなし。
  • バスや電車の中でも、MacBook Airではできない“がっつり作業”ができる。
  • 外出先で仕事をしたいときは、MacBook Airの外部モニターとしても使える。
  • 動画編集も軽作業もこなす。
  • とにかく、サイズ感も性能も「万能」なのだ。

iPad Proは、じっくり使える時間があるなら、これ以上ないほど便利なiPadである。

でも、持ち歩くには重い。

だから最近気になっているのが、iPad mini(第6世代 or 第7世代)
小さくて軽くて、片手でも持てる。Apple Pencilにも対応していて、PDFのチェックや手書きメモにはちょうどいい。

「これなら、出先でもサッと使える気がする」
「カフェや電車で、Proを出すのは大げさすぎた。miniならちょうどいいかも」
「何なら車のナビにも使えるし、セルラーモデルにしようかな……」

iPad miniを買うべきか、今のProを持ち続けるべきか。

などと考えていたら、Googleがレコメンドしてきた。

「iPad miniにしたけど、結局Proに戻りました」
「やっぱりminiでは力不足でした」
「iPad Proの万能感は異常」

──と思えば次は、こんな記事。

「iPad mini最高!」
「人生で最も満足したガジェット」
「Proは売って正解。軽さこそ正義!」

頭では「軽いは正義」だとわかっているのに、Googleが「やっぱりProに戻った」記事と「mini最高」記事を交互にレコメンドしてきて、心が千切れそうになる。
ガジェット選びって、いつもこうだ。

Googleよ、頼むからどっちかにしてくれ。
こっちはもう、ぐるぐるしてるんだ。

僕は毎日ノートを持ち歩き、プリントアウトした紙を貼ってタスクを管理している。
PDFの校正も、基本的には紙に赤を入れる方が早い。
つまり僕の生活スタイルは「紙が主役、デジタルは補助」なのだ。

だからこそ、デジタルデバイスに求めているのは、「便利」じゃなくて「気軽さ」だったりする。

Proは万能。
でも万能であるがゆえに、ちょっとした用途ではオーバースペック。
「これは使いこなさなきゃもったいない」という、妙なプレッシャーもある。

一方、miniは足りないところもあるけど、「使ってあげられる安心感」**がある。
重くないから持ち出しやすい。
多少の無理はしてない感。

結局、セルラーモデルを選ぶかどうかでも迷っている。

「車のナビに使えるし、GPSも入ってるし…」という言い訳を自分にしているが、
正直、Pixel 6で事足りる。

テザリングすれば、Wi-Fiモデルでもネットは繋がる。
でも、「繋がらなかったらどうしよう」という不安が、セルラーをチラ見させてくる。
このあたりの迷いもまた、ぐるぐるを深めている。

【iPad miniにして身軽になるか】
【iPad Proを据え置き最強マシンとして活かし続けるか】
【そもそも何も買わずに、紙とMacだけでやっていくか】

選択肢はいつもシンプルに見える。
でも、気持ちはそう簡単に割り切れない。

買うか、買わないか。
軽さか、万能か。
miniか、Proか。

僕はいまだに、その間でぐるぐるしている。

でもたぶん、この“ぐるぐる”こそが、ガジェット選びのいちばん楽しいところなんだろうな。

この記事を書いた人
SNSでフォローする