自分が嫌いな物事は何だろう。と考えた時に割とすぐに思い浮かんだのが他人のお喋りを聞かされることでした。
身近な人の、「お喋りのためのお喋り」や、テレビやラジオのトーク番組なども聞いていると他人の話が頭にどんどん入ってきて、本当にストレスになっています。
こうした状況において、多くの人が「話を聞き流す」という技術を駆使しますが、私にとってそれは容易なことではありません。どうしても、耳に入ってくる話の内容が気になってしまい、集中できなくなるのです。要点が定まらない話ほど、その傾向は強くなります。何故なら、話に一貫性がないと、無意識のうちにその話の流れを追おうとしてしまうからです。
仕事中にラジオのトーク番組なんかがかかっていると、もうまったく仕事になりません。本当に他人の話を聞きながら何かをするということがまったくできないのです。
この感覚は、単に煩わしいと感じるだけではなく、他人の話が頭にひびいて仕方ないというほど強く影響を受けます。たとえば、仕事から家に帰ってゆっくり休みたい時でも、家族の日常のお喋りが心地よい背景音ではなく、気が散ってしまう雑音となり得ます。さらには、トーク番組やラジオが提供するエンターテイメントが、心を穏やかにさせるどころか、心を乱す原因となってしまうのです。
遠回りして自分の気持ちや状況説明から話し始めて、結局何が言いたいのか
「何が言いたいのか」が伝わらない長い話を聞くのも苦手です。
「結局どうしたいの?」「どうして欲しいの?」という思念がグルグルしてしまい、とても疲れてしまいます。
この問題に対して、私が見つけた一つの解決策は、自分の趣味や関心事に没頭することです。例えば、音楽を聴いたり、読書をしたりすることで、他人の話に意識が行かないようにします。しかし、これは一時的な逃避に過ぎず、根本的な解決にはなっていません。
本質的には、私たちは他人とのコミュニケーションを避けることはできませんし、それを望むわけでもありません。問題は、どのようにして他人の話を健康的に処理し、自分自身の精神的な平和を保つかということにあります。私は、この問題に対する万能の解答を持っているわけではありませんが、一つのアプローチとして、自分の内面と向き合い、どのような話がストレスになるのか、その原因を理解することが重要だと思っています。そして、可能であれば、そのような話題が出る環境を避けるか、または、話の中で自分にとって興味のあるポイントを見つけるよう努めることが、一つの解決策になるのではないかと思います。
最終的には、私たちが他人の話にどのように対処するかは、個人個人の性格や状況によって異なります。しかし、自分自身の心地よさを守るための努力を怠らないこと、そして、時には自分自身を第一に考えることも大切だと思います。他人の話が頭にひびいて仕方ないと感じた時、それは自分自身の内面と向き合う良い機会かもしれません。