饒舌なる静かな多様性論者のブログ

「理屈っぽい」と言われてきた。それって、「めんどくさい」ってこと? 自分のクセと向き合ってみた。

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昔から、「理屈っぽい」と言われることがありました。

会話の中で「でも、それって論理的には…」と言い始めたり、誰かの発言に「それ、どういう根拠で?」と聞き返したりしてしまうんです。自分ではただ、ちゃんと理解したいだけのつもりなんですが、どうやら周りからすると「めんどくさい人」に見えているらしくて。

ある時、仲のいい友人から「あなたといると、疲れることがある」と言われたことがありました。直接「めんどくさい」とは言われなかったけれど、たぶんそういうことなんだろうと思います。その言葉は、けっこう長い間、頭の中に残り続けていました。

自分では「ちゃんと考えること」が誠実さだと思っていました。感情に流されず、論理的に整理することが、相手に対する礼儀でもあると。むしろ、いい加減に流すことの方が失礼なんじゃないかとさえ思っていました。でも、どうやらそれが空回りしていたということなのかもしれません。

思い返すと、「それって、根拠あるの?」という言葉が相手をどれだけ傷つけるか、あまり想像できていなかった気がします。正しさを求めることが、相手の感情を踏みにじることになっているとは、なかなか気づけないものです。

「なんで正しいことを言っても、相手が喜ばないんだろう」という疑問は、長い間うまく整理できていなかった気がします。最近、いくつかの本を読んで、少しだけその輪郭が見えてきた気がしています。そんな自分が手に取った本を、3冊紹介します。

なぜ論理は人を動かせないのか|参考になった3冊

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ファスト&スロー(上)

ファスト&スロー(上)

人間の思考を「速い直感」と「遅い論理」で分類。感情が先に動き、論理はあとから正当化に使われるという人間の本質がわかる一冊。

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「空気」の研究

日本社会の意思決定を支配する「空気」という非論理的な力を分析。正論が通じない理由を知るヒントが詰まっている。

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人を動かす

人を動かす

人間関係の古典的名著。正論より感情に寄り添うことが人を動かす唯一の方法だと教えてくれる。

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カーネマンの「ファスト&スロー」には、人間の思考には「感情的・直感的なシステム1」と「論理的・分析的なシステム2」の2種類があるという話が出てきます。そして面白いのは、日常の大半の判断がシステム1、つまり感情や直感で行われていて、論理(システム2)はむしろ後から「自分の判断を正当化するため」に使われることが多い、という点です。

つまり、人間はすでに感情で判断し終わってから、論理を使って「自分の判断は正しかった」という物語をつくっている。そう考えると、こちらがいくら論理を積み上げても、相手の感情が動かなければ届かないわけです。理屈を言えば言うほど、相手のシステム2を強制的に呼び覚ましてしまう。でもそれって、相手にとっては「考えさせられるしんどさ」でもあるわけです。自分が「めんどくさい」と思われてきた理由の一部は、ここにあるんじゃないかと思いました。

山本七平の「空気の研究」は、日本社会の「空気」という不思議な力を分析した本です。戦時中の作戦会議でも、誰もが「うまくいかない」と分かっていながら、「空気」がそれを言えない雰囲気をつくっていたという話が出てきます。論理より、その場に漂う空気の方が強い。日本社会においては特に、それは今も変わっていないんだろうと思います。正しいことを言っていても、空気を読めなければ「邪魔な存在」になってしまうという感覚は、なかなかリアルに刺さりました。

カーネギーの「人を動かす」は古典中の古典ですが、改めて読み直すと「人は論理では動かない、感情で動く」という原則が随所に出てきます。相手を変えようとするより、相手が変わりたいと思えるような感情を育てることが重要だと。正論を言えば相手が従うはずだ、という前提自体がずれているんだということを、じわじわと実感させてくれます。「わかってはいた」ことが、感覚として腹落ちするまでには時間がかかるものですが、この本はそれを後押ししてくれました。

じゃあ、理屈っぽい自分はどうすればよかったのか。「直せ」という話になるのかというと、なんか違う気がしています。自分のクセと向き合うための本も、3冊紹介します。

自分のクセと向き合うための3冊

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嫌われる勇気

アドラー心理学入門。承認欲求を手放し、他者の評価から自由になるための考え方が丁寧に説かれている。

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EQ こころの知能指数

EQ こころの知能指数

感情を「知性」として捉え直した先駆的な一冊。論理知性(IQ)と感情知性(EQ)の違いと、EQが人生に与える影響を解説。

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スマホ脳

スマホ脳

人間の脳がいかに原始的な感情反応で動いているかを解説。「論理より感情が先」は設計上の仕様だという視点が得られる。

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岸見一郎の「嫌われる勇気」の中に、「承認欲求を手放せ」という言葉があります。全員に好かれようとするのは不可能で、それを目指すこと自体が不自由さを生む、という考え方です。「めんどくさいと思われたくない」という恐れをちょっと手放してみることが、むしろ自分らしくいられる近道なのかもしれません。

アドラーの「課題の分離」という概念も印象的でした。自分の行動は自分のものだが、それをどう受け取るかは相手の課題だということ。「めんどくさい」と思われるかどうかは、完全には自分でコントロールできないわけです。そう考えると、少し気がラクになる気がします。

ゴールマンの「EQ こころの知能指数」は、感情を知性として捉え直した本です。論理的な知性(IQ)だけでなく、感情を認識・管理する知性(EQ)の重要性を説いていて、「理屈っぽい」とは言い換えれば「EQの特定の部分が弱い状態」とも読めます。欠点として捉えるより、「鍛えられる部分がある」と思った方が、少し前向きになれる気がしました。EQが高い人は論理を否定するわけではなく、感情と論理を状況に応じて使い分けることができる。そういう柔軟さが、「めんどくさくない人」の正体なのかもしれません。

アンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」は、人間の脳がいかに原始的な感情反応で動いているかを解説した本です。「論理より感情が先に来るのは、人間の設計上の仕様だ」という視点が、読んでいて腑に落ちました。相手が感情的に動くのは、弱さや欠点ではなく、ただそういう生き物だということ。「なんで理屈で動かないんだ」と思うこと自体が、そもそもずれていたんだなと気づかされました。

結局のところ、「理屈っぽい=めんどくさい」は、たぶんある程度は真実だと思います。それを「直すべき欠点」と捉えるか、「自分のクセ」として付き合っていくかは、少し別の話かもしれませんが。

完全に感情的になれと言われても、それも違う気がするし、論理をすべて捨てることもできない。ただ、「相手は論理で動いていない」という事実だけは、ちゃんと念頭に置いておく必要があるんだろうなと思います。

相手を感情で動かそうとするのも、なんか違う気がする。そうじゃなくて、「相手は今、どんな感情でいるんだろう」と、先に想像してみることが、まずできるようになればいいなと思っています。論理の前に、感情を見る。これが、理屈っぽい自分への宿題なのかもしれません。

理屈っぽくても、めんどくさいと思われながらでも、自分なりに誠実に考え続けることは、やめなくていい気がしています。ただ、それを相手に押しつけることと、自分の中で持ち続けることは、別のことだよな、と。そのあたりを少しずつ切り分けていけたらいいな、と思っているところです。

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