パソコンの前で仕事をしていたときのことです。
書類の修正を進めていたら、頭の中に唐突に「グノーシス派」という言葉が浮かんできました。
なんの前触れもなく。
なんの関連性もなく。
ただ、ぽつんと。
「グノーシス派……?」
耳慣れない響き。
以前に世界史か倫理の授業で名前だけは聞いた気がするけど、内容はまったく覚えていない。
でも、なぜかその言葉だけが、異様に存在感を持って浮かび上がってくる。
その瞬間から、目の前の仕事に集中できなくなりました。
今の時代、「知らない言葉」はスマホひとつで調べられる。
ChatGPTを開けば、あっという間に説明してくれる。
情報は、手のひらの中にある。
だけど、仕事中なんですよね。
「今はそれどころじゃない」って、自分でもわかってる。
目の前の業務、進捗、納期、チームとのやりとり……やるべきことは山ほどある。
でも頭の中は、「グノーシス派ってなんだっけ?」「宗教? 哲学?」「なんで今それが浮かんできたんだろう?」と、完全に持っていかれてしまってる。
この状態、本当にしんどいです。
ネットもAIも、知りたいことがすぐにわかるようにしてくれる。
だからこそ、「今、調べられない」状況が余計にストレスになる。
昔だったら、「知らないけど、今は仕方ないか」と諦められたかもしれない。
でも今は、「調べれば5秒でわかるのに、それができない」というもどかしさがずっと頭に残ってしまう。
しかも、仕事がひと段落したあとに調べようとすると、今度はそこに時間と集中力を奪われる。
私も実際、その日の夜に調べ始めて、Wikipediaを開いて、参考記事をたどって、YouTubeで解説を見て……気がつけば1時間以上経っていました。
情報を手に入れても、それで心がスッキリするとは限らない。
むしろ、思考の沼に入ってしまう危険性もある。
冷静になってから考えてみました。
なぜ、私は仕事中に急に「グノーシス派」なんて言葉が気になってしまったのか。
ひとつ思い当たったのは、**「現実に対する違和感」**でした。
グノーシス派って、「この世界は偽物で、本当の世界がある」っていう思想なんですよね。
なんとなくですが、仕事や日常の中で感じていた「これって本当に自分のやりたいことなんだろうか?」みたいな感覚と、どこかでリンクしていたのかもしれません。
もちろん、それは偶然かもしれないし、ただ単に思考が飛躍してるだけかもしれない。
でも、脳って、そういう「未処理の感情」や「ひっかかり」を、突拍子もない形で表現してくることがあるんですよね。
私は今でも、「知らない言葉」が頭に浮かぶとソワソワしてしまうことがあります。
でも、いくつか試している“自分なりの対処法”があります。
気になる言葉を忘れないように、一言だけメモします。
「あとで調べる」と決めて、ひとまず仕事に戻る。
紙のメモ帳に書くと、少し気が楽になります。
例えば、「15分だけ調べる」と決める。
スマホやPCにタイマーをセットして、時間が来たら必ず閉じる。
そうすると、情報の沼にはまりにくくなります。
これが一番むずかしいんですが、「わからないことがあっても、自分は大丈夫」と思えるようになると、だいぶラクになります。
答えが出ないまま放っておいても、意外と後になってふっと納得できたりするんですよね。
私たちは今、「調べられるのに、調べられない」環境に日々さらされています。
情報が身近であるがゆえに、それに手が届かない瞬間のストレスは、昔よりもずっと重く感じる。
だからこそ、自分の「調べたい」という衝動や、「理解したい」という欲求に対して、やさしく向き合うことが必要なのかもしれません。
「グノーシス派」が気になるのは、知的好奇心の現れであると同時に、
もしかしたら、自分自身の“本当の気持ち”に気づきたいというサインなのかもしれない。
それを否定せずに、「またあとで向き合おう」と思えるようになれたら、
情報に振り回されすぎず、自分の心を守っていける気がします。
「知らない言葉が急に頭に浮かんで、しんどくなる」という経験は、意外と多くの人がしていると思います。
一人で抱えず、「そういうことってあるよね」と話せる場があればいいな、と思っています。
そして今日も、「調べたい」と「やらなきゃ」の間で揺れながらも、
少しずつ前に進んでいけたらと思っています。