境界知能のニュースを目にした瞬間、私はふと自分自身に思いを馳せました。日々の生活の中で、思考がぐるぐると回り続ける状態や、物事の先を考えて行動することの難しさ、物覚えの悪さ、何か一つのことに深く没頭してしまう傾向、そして思考が次々と飛んでいくことに苦しむ自分。これらの特徴を持つ私は「大人の発達障害かも」と思っており、私のような人々が感じる生きづらさは、深く共感できるものです。
ネットで先鋭化する“境界知能” 障害とは診断されない“はざま”の生きづらさ 「レッテル貼りに使われると検査や支援の検討困難に」専門家は危惧
https://news.yahoo.co.jp/articles/05176dabae5a4e76b09c5238dd1f9eb721359a54
現代社会、特にネットが先鋭化し続けるこの時代は、私たちにとってさらなる試練をもたらしています。情報が絶え間なく流れ、それに即応することが求められる中で、自分のペースで物事を進めることの難しさを強く感じます。このような環境下では、SNSなどのデジタルコミュニケーションツールから距離を置くことで、少しでも自分を守ろうとしています。しかし、同時に、そのような選択が今の世の中で自分を隅に追いやり、社会から取り残されてしまうのではないかという危惧も抱いています。
しんどさが積み重なる中で、私はこのブログを書くことにしました。自分自身の思いを言葉にすることで、何かしらの形で誰かの役に立ちたいという願いを持っています。そして、それが同時に自分自身を救う手段にもなることを期待しています。
ブログを書くことで、この溢れる思いを少しでも整理し、自分自身の苦しみを形にしてみたいと考えました。本当に苦しんでいる人はもっと大変な状況にあるかもしれません。自分の苦しみが、彼らから見れば取るに足らないものであるかもしれないという考えも、頭の片隅にあります。しかし、それでも自分が苦しいのは事実です。
このブログが、たとえ一人でも誰かの目に留まり、その人の心に寄り添うことができれば、そして、それが私自身にとっても何らかの救いになればと願っています。私たちの声が、社会に少しでも響き、理解や支援の輪が広がることを願いつつ、自分自身もまた、このしんどさを乗り越えていくための一歩を踏み出しています。自分の苦しみを乗り越え、その経験を通じて、他の誰かを支えることができれば、それは私にとって最大の喜びであり、達成感に繋がるはずです。
だからこそ、今、こうして自分の思いを言葉にしています。自分の経験が、同じような悩みを抱える誰かの助けになり、少しでもその重荷を軽くできることを願ってやみません。それが同時に、自分自身の救いとなることを心から願っています。