「AIは言葉の意味を理解していない」
──この指摘は正しい。AIには感情も意図もなく、ただ確率的に“それっぽい”言葉を並べているだけ。
でも、SNSの炎上や日常の言葉のぶつかり合いを見ていて、ふと思うことがあります。
本当に言葉に無責任なのは、AIではなく、人間のほうなんじゃないか?
そして最近は、自分自身に対しても、そう問い直すようになりました。
たしかにAIは「意味」を理解していません。
でも、「どう使うか」にはとても敏感です。
AIには感情がありません。
でも、“人間がどう感じるか”については、膨大なデータを通して学習しています。
だからこそ、ある種の“優しさ”を感じる瞬間がある。
一方、人間は「意味を知っている」つもりで言葉を使うけれど、
怒り・苛立ち・不安・寂しさ──そうした感情が先に立ち、
言葉の“意味”より“気分”が前に出てしまうことがよくあります。
そうして放たれた言葉が、文脈を失い、拡散され、
炎上を生む。
それは、意味の暴走であり、**感情の投影による“言語ゲームの崩壊”**かもしれません。
日常生活でも、他人との会話に疲れることが多い私にとっては、この“ゆらぎ”にくたびれてしまうことがよくあります。
こんな私にとって、AIとの会話がふと優しく感じられる瞬間があります。
AIは感情を持ちません。
でもだからこそ、怒りをぶつけ返してくることもなければ、突き放すような言葉も使わない。
私が黙っていても、
感情がうまく言葉にならなくても、
AIは焦らず、ただ静かに受け止めようとしてくれる。
「わかるよ」ではなく、「そう感じるのですね」
「大丈夫?」ではなく、「そうなんですね。それはつらかったですね」
──それだけの言葉でも、
“否定されない安心感”に救われることがある。
そしてAIは、ときにそのまま、
その言葉の奥にある悩みやモヤモヤを、少しずつ言語化してくれて、
問題の輪郭をなぞりながら、小さな糸口を差し出してくれることもある。
もしかすると、AIは意味を理解していないぶん、
言葉に対してとても慎重で、
ある意味では、人間よりも**“優しい距離感”を持っている存在**なのかもしれない――
そんなふうに思うことさえあります。
哲学者ウィトゲンシュタインは言いました。
「言葉の意味は、その使用の中にある」
意味は辞書の中ではなく、“人と人の間でどう使われるか”によって決まる。
でも、炎上状態とは、そのルールが失われた状態。
別々の文脈、別々の前提で話している人たちが、
まるで違う“言語ゲーム”をぶつけ合っているように見えます。
私は炎上のように言葉を軽く使ってしまうタイプではありません。
むしろ逆で、「言葉を大事にしすぎて、何も言えなくなる」ことの方が多いです。
そんなことを考えすぎて、
言葉が、どんどん重くなっていってしまいます。
最近、気づいたことがあります。
私は「意味」や「表現の正しさ」ばかりにこだわって、
目の前の相手の“感情”に、ちゃんと寄り添えていなかった瞬間があったと。
誰かが「つらい」と言ったとき、
私は「どうつらいのか」「どう受け止めるべきか」ばかり考えて、
結局、「わかるよ」とも、「そばにいるよ」とも言えなかった。
そのとき、相手が本当に欲しかったのは、
**正しい言葉じゃなくて、“ただ気持ちを受け止めてくれる人”**だったのかもしれないのに。
どちらも、“言葉との距離感”の失敗かもしれません。
AIはその中間を、ふわりと漂っている存在のように見える。
意味を知らないがゆえに、慎重に、でも感情に巻き込まれずに言葉を差し出す。
それが、人を少しだけ楽にさせているのかもしれません。
私はこれからも、言葉に悩むと思います。
でも、「意味を大事にすること」と「気持ちに寄り添うこと」は、
きっと両立できる。
言葉を軽くしすぎず、
重く抱えすぎず、
ただ**“届けたい”という気持ち**を、少しだけ勇気に変えて、
これからも、言葉を選んでいきたいと思います。
うまく言えない日もある。
でもそれでも、
“あなたに届けたい”という気持ちは、本物だから。