最近、ふと思ったことがあります。
いわゆる“女子トーク”と呼ばれる会話って、実はめちゃくちゃ高度なコミュニケーションなんじゃないか?ということ。
たとえば、こんな会話。
A「最近ほんと疲れちゃって〜」
B「だよね〜」
A「なんかもう全部めんどくさいw」
B「わかる〜」
A「この前もさ〜」
B「わたしもそれあった〜!」
一見すると中身が薄い?と思うかもしれない。でも――
これ、実はめちゃくちゃ濃い会話なんですよね。
この会話のすごいところは、言葉の意味が明確でなくても、
感情のグルーヴだけで“つながり”がどんどん深まっていく点。
「だよね〜」は、相手を否定しない安心の相槌。
「わかる〜」は、感情のキャッチボール。
「わたしも〜」は、連帯の旗を立てる行為。
つまり、この会話は**「情報の伝達」ではなく「関係の調律」**なんです。
東京ディズニーシーの人気アトラクション「タートル・トーク」も同じです。
ウミガメのクラッシュが観客の質問に“それっぽく”返すことで爆笑と感動を生む。
でも、クラッシュは観客の背景を深く知ってるわけじゃないし、厳密に意味を読み取っているわけでもない。
それでも会話は成り立つ。むしろ大盛り上がりする。
なぜか?
それは、会話が“内容”よりも“リアクション”と“ノリ”で回っているから。
まさに、女子トークの世界と同じ構造なんです。
AIの会話モデル(ChatGPTを含め)は、意味を理解しているわけではありません。
大量のデータから「この流れなら、こう返すと自然だよね」という予測をしているだけ。
でも、人間はその“それっぽい返答”に救われたり、笑ったり、泣いたりする。
「わかる〜」「それな〜」「マジで〜」
AIがこう返してきたとしても、場の雰囲気やタイミングが合っていれば、
それはもう“立派な会話”として成立する。
ここで哲学者ウィトゲンシュタインの登場です。
「言葉の意味は、その使用の中にある」
この考え方に立つと、「女子トーク」の言葉たちは、
決して“意味がない”のではなく、“意味を成している使い方”をしていると言えます。
たとえば「わかる〜」という言葉。
辞書的にはただの“共感の表明”だけど、実際の会話の中では――
という、ものすごく濃密な意味の働きをしているんです。
「わかる〜」に対して、「意味がない」「中身がない」と言うのは簡単だけど、
その瞬間、会話は終わる。
でも、「わかる〜」と返すことで、会話は続き、人間関係は深まる。
これは言葉の使用として、最も大切な“機能”じゃないでしょうか。
情報が薄くても、関係が濃くなる。
それを可能にしているのが、“わかる〜”の魔法なんです。
女子トークは、言葉の意味にこだわるよりも、言葉の使い方と響かせ方に集中している会話です。
AIもクラッシュも、そして私たち自身も、
実はみんな“意味を探す”より、“意味が生まれる瞬間”を生きている。
だからこそ、
「わかる〜」
「わたしも〜」
「それな〜」
この言葉たちが、今日もどこかで誰かの心を癒し、世界をちょっとだけやさしくしている。
意味なんて、あとからついてくるんです。