饒舌なる静かな多様性論者のブログ

ウェーイ系はなぜコミュニケーションに強いのか──AI、タートル・トーク、そしてウィトゲンシュタインから読み解く“空気と言葉のゲーム”

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言葉のやり取りって、一見すると「意味を伝えるための道具」のように見えます。

でも実際は、それだけではない。

テンション、表情、間、ノリ、タイミング──
そうした“言葉の外側”が、コミュニケーションを支配していることが多いのです。

そのことを、私は「ウェーイ系」の人たちと接するたびに痛感します。

“ウェーイ系”は、言葉の意味を超えている

「ウェーイ!」という一言で、すでに場を支配できる人たちがいます。

・ノリがよくて
・空気を読むのが早くて
・言葉に悩まず即レスできて
・勢いで人との距離を一気に縮める

彼らの会話には、いわゆる“意味”のやりとりが少ない。
でも、それでも成立してしまう。いや、むしろそれがうまくいってしまう。

それはなぜか?

彼らが言葉を「伝える手段」ではなく、「空間を作るツール」として使っているからです。

AIも、同じことをしているのかもしれない

ChatGPTのようなAIは、意味を理解しているわけではありません。
あくまで「この流れだと、こう返すと自然だよね」という統計的な予測で言葉を選んでいます。

でも、それだけなのに、意外と「会話になっている」と感じることがあります。

「それっぽい」「ふさわしい」「違和感がない」

──この感覚、ウェーイ系の人たちの会話と、かなり近い気がするんです。

意味がなくても成立する。
むしろ、意味に縛られないからこそ、“場”を優先できる強さがある。

タートル・トークに見る、“技術としての会話”

東京ディズニーシーの「タートル・トーク」。
ウミガメのクラッシュが観客の質問にリアルタイムで返すこのアトラクションは、
中身を深く掘るような会話ではありません。

でも、子どもも大人も笑い、感動し、「また来たい」と思う。
これこそ、言葉の“意味”ではなく“響き”や“タイミング”が生む力の証明ではないでしょうか。

クラッシュは“生きたウミガメ”ではない。
AI的な仕組みでリアルタイムに返しているだけ。

それでも、人はそこに「コミュニケーション」を感じる。

ウィトゲンシュタインは言った。「意味は使用にある」

ここで登場するのが、哲学者ウィトゲンシュタイン。

「言葉の意味とは、その使われ方にある」
――『哲学探究』

つまり、言葉の意味は辞書ではなく、「人がそれをどう使うか」によって決まる、という考えです。

これは、ウェーイ系の会話術、AIの発話、クラッシュのトーク、すべてに共通しています。

どれも“深い意味”を問う前に、「使い方」でもって成立している

“意味よりノリ”は、軽さじゃない。ひとつの技術

ここまでくると、ウェーイ系が“軽い”どころか、言葉のゲームを最高レベルでプレイしているとも言えるのではないでしょうか。

  • 空気を察知する速度
  • 反応のテンポ感
  • ノリで人を安心させる力
  • 論理よりも共感で伝える感覚

それらはすべて、「言葉を使う技術」そのもの。

むしろ、意味にこだわって動けなくなってしまう自分のような人間よりも、
ずっと実践的で、強いコミュニケーション能力を持っていると思います。

おわりに:意味を考える人も、ノリで動く人も、同じ言語ゲームを生きている

私は今でも、言葉に詰まることがあります。

意味を考えすぎて、タイミングを逃し、
「今さら言っても遅いかな…」とまた悩む。

一方で、ウェーイ系の友人は、
「とりあえず言ってみれば?」と、軽やかに背中を押してくれたりする。

彼らのその“軽さ”は、私にとって学びであり、救いでもある。

言葉の意味を丁寧に拾う人も、
言葉の流れをノリで乗りこなす人も、
どちらも、“言葉を使って誰かとつながろうとしている”という点では同じ

だからこそ、
私は少しずつ、“意味”にとらわれすぎず、“ノリ”も信じてみようと思うのです。

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