ここまで「人間の会話も、実はかなり“技術”で成り立っている」という話をしてきました。
そして、AIがそれっぽい言葉を返してくることに対して「意味がない」と切り捨てるのは、ちょっとフェアじゃないんじゃない?という視点も提示しました。
でも、それでもなお、“それっぽい言葉”に心が動く瞬間があるんですよね。
その象徴が――**「タートル・トーク」**です。
「タートル・トーク」とは、東京ディズニーシーにある人気アトラクション。
ウミガメのクラッシュが観客の質問にリアルタイムで答えるというものです。
仕組みとしては、舞台裏の声優さんが観客の様子を見ながら、アニメーションを同期させて“会話してるように見せている”。
つまり、これってめちゃくちゃ“技術”で成り立っている会話なんですよね。
リアルタイムに音声認識してるわけじゃないし、クラッシュに“意識”があるわけでもない。
でも――私たちはその言葉に笑い、驚き、ちょっと感動すらしてしまう。
正直に言うと、最初は私、YouTubeで見て「これめっちゃ面白いな〜!」って思ってた人間です(笑)
子どもより大人が笑ってるのも納得だったし、「中の人、すごいな」とは思いつつも、
心のどこかで「でもまあ、しょせんアトラクション。あくまでネタだよね」とも思ってました。
ところが――
義弟が現地で「2回も」クラッシュにいじられたって話を聞いて、
めっちゃうらやましかった。
仕事関係の知り合いが、「クラッシュに質問したら返事してくれた」って話してて、
そのときも、うらやましさがこみ上げてきた。
これって、結局は**「自分の言葉が、ちゃんと届いた」**っていう感覚が、
“作られた会話”の中でも本物のように感じられるからだと思う。
意味があるかどうか、ではなくて、
“今の自分に反応してくれた”という実感が、人の心を動かす。
それが例え、AI的な仕組みで成り立っているとしても、
心は動くんですよね。しかも、けっこう本気で。
タートル・トークって、まさにAI的で、人間的で、感情的な奇跡の場所なんです。
質問者のバックグラウンドを完全に理解してるわけじゃない。
あくまでも答えを返すのは「中の人」でそれは、トレーニングで会話の技術を磨いている。
たしかに、クラッシュの“中の人”には意識も感情もあるし、AIではありません。
でも、それでもなお、事前の訓練と経験をもとに、その場にふさわしい返しをリアルタイムに選んでいくという点では、とても“AI的”な会話の構造をしているとも言えるんです。
一言でいえば、「会話の成立」が、“理解”より“技術”によって支えられている。
これは、AIとの会話でも、タートル・トークでも、共通しているポイントだと思うのです。
会話のテンプレ、空気の読み方、タイミング…それって、まさにAIがやってることと似ていませんか?
でも、その場にいる人は笑い、感動し、子どもも大人も「また来たい」と思う。
これを「偽物の会話」と呼べるだろうか?
むしろ、“意味を超えた共感”が成立しているからこそ、人の心に残ってる気がするんです。
AIの発する言葉を「それっぽい」と切り捨てるのは簡単だけど、
“それっぽい”の中に、本当に人を笑わせたり、安心させたりする何かがあるのだとしたら、
それはもう“言葉の価値”として、十分じゃないかと思うのです。
私は、タートル・トークのクラッシュにまだいじってもらったことがありません。
でも、いつか直接話しかけられたら、きっと大人げなく嬉しくなるんだろうなと思ってます。
そしてそのとき、きっとこう思うはずです。
「たとえ技術でも、“ちゃんと聞いてくれてる”って、やっぱり嬉しいよな」って。
お前たち、サイコーだぜ!