結婚してから、気づけば十数年が経ちました。
いま、穏やかに暮らせていることには本当に感謝しています。
でも、ふと思うときがあります。
「幸せな結婚生活を送れている人って、もっと評価されてよくない?」
…いや、もちろん、自分がそれを“できている側”かどうかは、正直わかりません。
15年程度でわかったようなことを言うのは、ちょっとおこがましいとも思いますし、
実際に「私たちってうまくやれてるよね?」なんて、妻に聞く勇気もありません。たぶん笑われます(笑)。
それでもなお、なんとなく思うのです。
「結婚生活を続ける力」は、もっと光が当たっていいんじゃないかって。
いまは、情報があふれ、価値観も本当に多様化しています。
「こうあるべき」といった幸せのかたちは崩れつつあり、
結婚や家族のスタイルも、どんどん自由になってきました。
SNSを開けば、理想的な夫婦像から、ソロライフ、子どもを持たない選択まで、さまざまな生き方が流れてきます。
「自分たちの形」だって、すぐ他人の価値観に飲み込まれそうになる。
そんな時代において、一人の相手と、日々を積み重ねていくという選択は、
単なる“自然な流れ”ではなく、意志とスキルの集大成なんじゃないかと思うのです。
私は、幸せな結婚生活を築ける人には、次の3つの力があると思っています。
誰と出会い、どんな価値観を大切にし、
どのタイミングで「この人といこう」と決めるか。
これは偶然のようでいて、直感と判断力のコンビネーション。
長く一緒にいることを想定した“選び方”って、案外難しいものです。
意見の違いや、生活リズムのズレ。
沈黙、ちょっとした苛立ち──日々の中でぶつかる小さな違和感たち。
でもだからといって、毎回きっちり話し合ったり、正解を突き詰めるわけでもなくて。
むしろ多くの場合は、
そういう「特別なことじゃないけど、ちゃんとやってること」が、実は一番大事だったりします。
そして、それを自分がやっているだけじゃなくて、相手もまたやってくれてるんじゃないかと信じること。
この“信じる力”が、目に見えない関係の土台になってる気がするんです。
何も起きない日常に、「これでいい」と思えるか。
足りないものではなく、「今ここにあるもの」に目を向けられるか。
結婚生活を楽しめるかどうかは、相手の性能じゃなく、自分の感受性の問題でもあるのかもしれません。
この3つの力がうまく組み合わさったとき、
結婚は「制度」や「役割」ではなく、人生をあたたかく照らす場になっていくように感じます。
ちなみに私は、昔から「絶対に結婚したい!」と思っていたタイプではありませんでした。
いわゆる結婚願望の強い人ではなく、むしろその逆です。
ただ──田舎で育ったこともあって、「そのうち自然にそうなるのかな」くらいのイメージは、なんとなくありました。
いろいろとご縁があってそのなかでいろいろと迷って、そしてあるとき、ふっとタイミングが降りてきたんで、その時に決めた。
それが始まりです。
特別なドラマがあったわけでもなく、理想を追いかけていたわけでもありません。
でも、それから何年も一緒に暮らしてきて、
今日まで穏やかに過ごせているのは、小さな選択と歩み寄りの積み重ねだったと思っています。
……と、こうしてあれこれ書いてますが、
うちが語れるほどの立派な夫婦関係かと言われたら、それは全然そんなことないです。
真面目に問題を話し合ったり、努力らしい努力をしてるわけでもないし、
なんなら「最近ちゃんと向き合ってる?」と聞かれても、「うーん…どうだろう?」くらい。
我が家はやっぱり、ちょっと放置プレイで、ちょっと諦めが混じってて、
でもなんだかんだで、「まあ、これでいっか」って笑える関係で続いてる感じです。
それでも、ズレを感じたら微調整して、
自分の中でちょっと飲み込んだり、相手にちょっとだけ寄ったり、
そういうことを**“なんとなくやってる”という気持ちは、たしかにある**。
たぶんそれだけでも、結婚生活ってけっこう成立するんじゃないかなと思うのです。
もちろん、私は「誰もが結婚すべき」とは思っていません。
結婚には向き・不向きがあるし、
一人で生きることの豊かさも、確実に存在します。
でももし──
“幸せな結婚生活”を送れる可能性がある人がいるなら、
それは人生を少しだけあたたかく、奥行きのあるものにしてくれる選択肢のひとつだと思うのです。
それらは、ただの“生活”ではなく、人として成熟していくプロセスでもあります。
我が家がここまで続いてきた理由をひとことで言うなら、
「無理をしない関係」だったことに尽きると思います。
このバランスが取れてきたとき、
日々の空気がふわっとやわらかくなりました。
まるで、映画『道』のジュリエッタ・マシーナのように、
つらい現実の中でもどこかで“信じる気持ち”を捨てない強さ、
そんなものと少し重なるような気もしています。
幸せな結婚生活を送る人には、外からは見えないスキルがたくさんあると思います。
こうしたスキルは、履歴書にも、SNSにも、あまり表れません。
でも確かにそこには、**高い“人間力”**がある。
選択肢も誘惑も多いこの時代に、
「この人と、この関係を続けていく」ことを選び続ける力には、
もっと称賛があっていいのではないでしょうか。
結婚は、人生のすべてではありません。
また、もちろん、うまくいかなかった経験の中にも、たくさんの“人間力”や“決断力”があると思います。
続けることがすべてではなく、終わらせる勇気や変化を選ぶ決断も、等しく尊いものです。
でも、もし「幸せな結婚生活」を築ける可能性があるなら──
それは人生を深く豊かにする、尊い選択肢です。
そして、それを続けていける人には、
この3つの力が、確かに備わっている。
結婚したから偉いわけじゃない。
“続けていること”が、すごい。そして、続けられる関係を築ける人には、もっと光が当たっていい。
そんなふうに、私は思っています。
正直、「幸せな結婚生活ができてます!」と胸を張って言える自信はありません。
妻に聞いたらたぶん、鼻で笑われるし、怖くて聞けません(笑)。
でも、「なんとなく続いている関係」を、
なんとなくで終わらせない努力や思いやりが、日々積み重なってると思うんです。
うまくいってる“ふう”でもいいじゃない。
ときどきちょっとズレても、また合わせればいい。
そんなふうに、力まず続けている人たちに、
ちょっとだけ光が当たってもいいんじゃないか──
そう思っています。