「子どもに介護を頼るのは時代遅れ」?——その前に、“グレーゾーン”とヤングケアラーの現実を考えたい
近年、「介護を子どもに頼るのはおかしい」「子どもに迷惑をかけない老後を」という価値観が浸透しつつあります。
たしかに、人生100年時代と言われるなか、親が親としての責任を持ち、自立して老後を送るという考えは、ごく自然なことのように思えます。
でも私は、この議論にはもう少し繊細な視点が必要だと感じています。
特に、**介護認定が出る前の“グレーゾーン”**や、ヤングケアラーと呼ばれる子どもたちの現実を無視して、理想論だけで語ってしまうのは危ういと感じます。
介護というと、「要介護1〜5の認定を受けたあとから始まる」と思われがちですが、
実際にはその前段階の**「まだ制度の対象にはならないけど、なんとなく不安」**という時期が長く続くこともあります。
たとえば——
こうした“生活のゆらぎ”に、ごく自然に気づける存在として、やはり「近しい家族」の存在は大きいのです。
でもこれを、「だから介護は子どもがするべき」と短絡的に結びつけてしまうと、今度は深刻な負担や孤立を抱えた子どもたちを見逃すことにもなりかねません。
現代の日本では、小中学生や高校生が、家族の介護や世話を日常的に担っている「ヤングケアラー」の問題が深刻化しています。
本来、子どもが担うべきではない責任を背負ってしまっている例も多く、心身の健康や進学・就職の機会が奪われてしまう現実があります。
ここで、私が強調したいのは、
“つながり”としての家族の意味は尊重されるべきだが、介護の責任を押しつけることはしてはいけない
ということです。
「子どもに頼るな」という議論の背景には、こうしたヤングケアラーの実態もあるのでしょう。
ですが、「すべてを社会に任せればいい」「子どもとは物理的に関わらない距離感が正解だ」という形に行き過ぎてしまえば、今度は**“誰にも頼れない老後”という孤独の危機**に陥る人も出てきます。
私が「子どもを育てることの意味」を大切にしたいと感じているのは、将来の介護要員を確保するためではありません。
それは制度では補いきれない、人間としての豊かさだと思うのです。
介護は「押しつけ」てはいけない。
でも、「誰にも気づかれずに孤立していく」老後も、避けたい。
だから私は、**つながりとしての“子どもとの関係”**の価値を、もう一度見つめ直したいと考えています。