最近、SNSで「ごちそうさまでしたって言う必要あるの?」という意見を見かけました。確かに、ネット上では相手が見えないから、言葉だけが宙に浮いてしまうように感じることもあるのかもしれません。でも、僕は「ごちそうさまでした」という言葉に、単なるマナー以上の意味を感じています。
それは「命をいただいた」という感覚。そしてそれを忘れないための、小さな祈りのような言葉だと思っています。
昔、小学生の時に授業で「いただきます」は命をいただいていることに感謝する言葉だと教わりました。最初は「そんな大げさな…」と思ったものの、ある時ふと、お肉やお魚に「元は生きていた命がある」と意識した瞬間、背筋が伸びたのを覚えています。
それ以来、「いただきます」「ごちそうさまでした」は僕にとって、命と向き合うための大切な言葉になりました。
僕にとって「ごちそうさまでした」という言葉は、ただの挨拶ではありません。料理を作ってくれた人、食材を育てた人、運んでくれた人――そのすべての関係者への感謝。そして何よりも、命をいただいているという感覚。
そこにはアミニズム的な、日本人が古来から持っていた「すべてのものに魂が宿る」という感性があるように思います。自然も、食べ物も、動物も、すべてが“いのち”であるという考え方。それを、毎日の食卓の中でほんの一言、「ごちそうさまでした」と言うことで、思い出せる。
もしかしたら、そんな考え方は笑われるかもしれません。時代遅れだとか、非科学的だと言われるかもしれません。でも、僕はそれこそが“古き良き日本人”の心だと思っています。失いたくない、日本の美しい文化のひとつだと感じています。
アミニズムというのは、あらゆるものに魂が宿るという考え方。日本の文化の中には、この精神が自然と溶け込んでいます。八百万の神々、木や石にも神が宿るという感性。そしてもちろん、食べ物にも。
例えば、山の幸、海の幸にはそれぞれ神様がいるという信仰がありました。だからこそ「粗末にしてはいけない」「食べ残してはいけない」という教えも自然と根づいていたのだと思います。
そうした感覚って、現代社会では「非科学的」とか「時代遅れ」って言われがちだけど、僕はむしろ、今こそ大事にしたい感性だと思うんです。テクノロジーが進化して、すべてが「モノ」に見えてしまいがちな時代だからこそ、「モノ」ではなく「いのち」として見つめる視点が必要だと思っています。
「ごちそうさまでした」って、日本人にとっては当たり前の言葉。でも、ふと「これって他の国でも同じように言うのかな?」って思ったこと、ありませんか?
欧米では、確かに食事のあとに「ありがとう」は言います。たとえばアメリカやイギリスでは、“Thank you. That was great.” “Dinner was delicious.” といったように、料理を提供してくれた人や、もてなしてくれたホストに対する感謝の言葉が交わされます。
フランスでは “Merci, c’était délicieux.”(ありがとう、とても美味しかった)とか、“Merci pour le repas.”(食事をありがとう)なんて表現がよく使われますし、イタリアだと「ブォーノ!(うまい!)」と、感情そのもので表現する人も多い。
でも面白いのは、欧米ではあくまで「人」に対しての感謝が中心であること。料理を作ってくれた人、招いてくれた人、一緒に過ごした時間――そうした“人間関係”に感謝が向いているんです。
それに対して日本の「ごちそうさまでした」には、命への敬意や自然への感謝まで含まれている。ここに、日本の文化的な違いがはっきりと表れていると思います。
アミニズム的な感性――すべてのものに魂が宿ると考える心。山にも、川にも、そしてもちろん食材にも。その命をいただいて生きているという実感。僕らが「ごちそうさまでした」と言う時、それはただのマナーではなく、小さな“祈り”でもあるのかもしれません。
欧米の人から見ると、「なんでそんなに丁寧に言うの?」「食べ物に感謝するってどういうこと?」と不思議がられることもあるけれど、逆に感動して「クールだね」と言ってくれる人もいます。
僕はこの違いを知ったとき、改めて「ごちそうさまでした」という言葉が持つ意味に誇りを感じました。便利な言葉やツールが増える一方で、見えなくなりがちな“心”の部分。それを、日本人はずっと言葉の中で大切にしてきたのだと思います。
正直に言えば、こういう感覚を持っていることが、少し恥ずかしく感じることもあります。「今どきそんな考え?」って言われそうで。でも、僕はやっぱりこういう感性を大切にしたい。
「ごちそうさまでした」は、作ってくれた人への感謝でもあるけれど、それだけじゃない。自然や命そのもの、そしてそれを見守る何か大きな存在への感謝の言葉。僕はそう信じています。
誰かに見せるための言葉じゃなくて、自分の心を整えるための言葉。それが「ごちそうさまでした」なんじゃないかと思っています。日々の忙しさの中で、つい忘れてしまいがちな感謝の気持ちや命の重みを、たった一言で取り戻せる。それってすごいことだと思うんです。
だから、これからも僕は「ごちそうさまでした」を言い続けていきたいです。古いかもしれない。でも、自分が自分らしくあるために、これだけは大切にしていきたいと思っています。