饒舌なる静かな多様性論者のブログ

「あるべき論」に縛られないために——出産・子育てを“選ぶ”自由と、“選ばない”自由のはざまで

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「こうあるべき」が息苦しい日本の出産・子育て

「子どもを持つなら、大学まで出すのが親の責任」 「母親はこうあるべき」「父親はもっとこうするべき」 「子どもを持つべきか、持たないべきか」

出産や子育てについて、日本社会ではあまりにも“正解”が求められすぎている気がします。

たとえばSNSでは、子育ての「成功談」や「キラキラした投稿」が目立ちます。その一方で、「しんどさ」や「悩み」や「モヤモヤ」を正直に語るのは難しい空気もまだあります。
そして、そもそも「子どもを持つかどうか」という人生の選択にすら、見えない“あるべき論”が押し寄せているのが現実です。

「できるなら子どもを産み育てたほうがいい」と思っている

私は、正直に言えば、できることなら、子どもを持ち、育てたほうがいいのではないかと思っています。

それは、社会の価値観に流されているわけではありません。
実際に子育てをしてみて、自分の時間や自由が奪われる反面、得られるものもとてつもなく大きかった——そう感じたからです。

日々の何気ないやりとり。成長していく姿。
それらが、人生に静かな“軸”を与えてくれました。
未来へのつながりとしての子ども。
生き物としてのリスクヘッジ。
そういう視点でも、私は「持ってよかった」と感じています。

でも、その一方で、今の社会にある「持たないこと」への批判や、「持つこと」への過度なプレッシャーには、どうしても違和感を覚えるのです。

「子どもがいない人生もいい」でも、「子どもがいる人生の価値」も語っていい

最近は、「子どもを持たない生き方」や「自由で自分らしい生き方」がメディアやSNSで広く語られるようになってきました。
それはとても素晴らしいことですし、私も強く共感しています。
生き方に正解はないし、「持たない自由」は確実に守られるべきだと思います。

でも、同じくらい、「子どもがいる人生って、やっぱりいいものだよ」と語る自由も、ちゃんと守られるべきではないでしょうか?

「それって自慢じゃない?」 「マウントみたいで嫌だ」

そう思われることを恐れて、子育ての豊かさやよさを語れない人が増えているとしたら、それもまた一つの不自由だと私は思うのです。

出産や子育てに、“正解”なんていらない

出産も子育ても、正直しんどいことの連続です。
泣きたくなる日もあるし、「なんでこんなに自分ばかり」と思う瞬間もあります。
でも、その揺らぎも含めて、私にとっては「生きている時間」だったと今は感じます。

もちろん、それがすべての人に当てはまるわけではありません。
出産しない人生、子育てしない人生にも、豊かさはたしかにあります。
でも、子どもを持つ人生にも、語られるべき“価値”や“意味”がある。
どちらも、「もっと自由に語っていい」はずなんです。

最後に——選びとる自由のために、「語る自由」も大切にしたい

「子どもを持つべきだ」と誰かに押しつけたいわけではありません。
でも、持つことの価値も、もう少し“貴重なもの”として見直されてもいいのではないか
そう思っています。

そのためには、「自分がなぜそう感じているか」を、自分の言葉で語ること。
そして、「語る自由」と「語らない自由」の両方を、大切にできる社会を目指すこと。

このシリーズを通してずっと伝えてきたのは、「正しさ」を主張することではなく、
ただ静かに、「こんな選択もあるんだよ」と伝えることでした。

出産や子育てをめぐる議論が、「押しつけ合い」ではなく「選びとる対話」に変わっていくことを願って——
今回はこのあたりで、筆をおきたいと思います。

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