饒舌なる静かな多様性論者のブログ

「自由」と「自分らしさ」の名のもとに子どもを産まない選択と、“本当の自分”を考える

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「産まない自由」という選択が語られるようになった時代

今の時代、「子どもを持たない人生」は、堂々と語られるようになりました。
「自分の時間を大切にしたい」「自由に生きたい」「自分らしくありたい」——
こうした言葉のもとに、あえて子どもを持たない選択をする人も増えています。
その背景には、キャリアの優先、経済不安、環境問題など、現代ならではの複雑な要因があります。

このような選択が尊重される社会になったことは、間違いなく前進です。
私自身も、かつて「自由であること」や「自分らしさ」を大切にしたいと強く願っていました。

でも、その「自由」や「自分らしさ」って、本当に自分で選んだもの?

一方で、私はこんな疑問も感じるようになりました。
「自由でいたい」「自分らしくありたい」——
その“自分らしさ”って、いったいどこから来たものだろう?と。

SNSやメディアの言葉、誰かの成功体験、社会の空気——
もしかしたら私たちは、“自由なつもり”で、どこかで「影響されている自由」を選ばされているのではないか?
自分で考えているようで、実は誘導された“賢い選択”をなぞっているだけかもしれない。

「子育ては非効率」「子どもを持たない方が身軽で自由」
——こうした言葉が自然に耳に入る時代だからこそ、
逆に、「子どもを産み育てる」という行為に宿る価値を、
もう少し“疑いなく貴重なもの”として見つめてもいいのではないでしょうか。

子育ては「自由の反対」ではない。むしろ“もう一つの自由”かもしれない

もちろん、子どもを持つことで多くの自由は制限されます。
時間、お金、キャリア、ひとりの時間——
それまで当たり前だったことが、突然「できないこと」に変わる。
私もその現実を、痛いほど実感してきました。

けれど、その“失われた自由”の中に、別の自由があることも知りました。
たとえば、誰かのために本気で怒れること。
たとえば、自分の都合より、誰かの成長を願う時間を過ごせること。
それは、「自分らしさ」を超えて、「人間らしさ」に触れるような瞬間でした。

子どもを持つことは、「不自由になる」ことではなく、
「これまで知らなかったもう一つの自分に出会う」という体験なのかもしれません。

「不変の価値」があるものを、見失わずにいたい

時代は変わっていきます。価値観も、多様性も広がっています。
でも、だからこそ「変わらないもの」「普遍的な価値」が、時に見えづらくなることもあります。

子どもを持つことは、いつの時代も簡単ではありません。
でも、誰かを育て、つなぎ、支え合っていくという営みには、
「生き物としてのリスクヘッジ」としての意味だけでなく、
人間の心に深く根ざした、かけがえのない重みがあると感じています。

最後に——「自由である」ということの、もうひとつの意味

「自由」とは、何でも選べることではなく、
選択肢の重さに向き合える“心の余白”を持つことかもしれません。

だからこそ私は、
「自由だから産まない」と考えるあなたに、
「自由だからこそ、産むことも考えてみてもいい」と、そっと問いかけてみたいのです。

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