子どもを持つか、持たないか。
それは、キャリア、経済的な不安、パートナーとの関係、そして自分の人生観——すべてが絡み合う問いです。
だからこそ、簡単に「こうすべき」とは言えないし、どちらが“正解”ということでもありません。
ただ、私がこのシリーズを通して伝えたかったのはひとつだけ。
**「人生の時間軸を、もう少しだけ長くとってみてほしい」**ということでした。
今の選択が、10年後、20年後、そして40年後の自分にとってどんな意味を持つのか。
そんな未来の姿を、静かに想像してみる時間を、持ってほしかったのです。
現代は、選択肢にあふれた時代です。
SNSやメディアでは「子どもを持たない人生」や「自由に生きる選択」が広く語られ、称賛される傾向もあります。
それはそれで、とても意義のあることだと思います。
ようやく私たちは、「結婚しなくていい」「子どもを持たなくていい」という生き方を、“恥”でも“失敗”でもなく語れるようになった。
でも、その一方で——
「子どもを持つこと」の価値が、相対的に低く見積もられてはいないか?
“選ばないほうが賢い”“効率的”という空気に、知らず知らず影響されていないか?
そんな問いも、心のどこかで感じるようになりました。
人生には、見た目にも体力にも衰えが出てくるタイミングがあります。
けれど、若い頃は「この感じがずっと続く」とどこかで思ってしまいがちです。
私自身がそうでした。
未来の不安より、今の快適さや自由の方がずっとリアルで、重く感じる。
でも、それでも歳月は確実に流れていきます。
そしてある日、ふと気づくのです。
「この先、自分はどうやって老いていくのか」「誰とどんなふうに時間を過ごしたいのか」と。
ここで私は、少し視点を変えてみたいのです。
人間を「生き物」として見たとき、**子どもを育てるという営みは、損得では語れない“本能的な構造”**を持っていると感じます。
動物が子どもを育てるのは、自己犠牲ではなく「種として生き残るためのリスクヘッジ」。
人間もまた、未来への不安や孤独を自然と見据えながら、誰かとつながっていく仕組みの中に生きているのだと思うのです。
今、20代・30代の方なら、10年後は30代・40代。
40年後は、自分が定年を迎えたあとの姿かもしれません。
そのとき、ふと「隣に子どもがいたらいいな」と思う未来が、少しでも想像できるなら——
今、ほんの少しだけ、その可能性について考えてみてほしいのです。
もちろん、子どもがいない人生も、豊かで素晴らしいものです。
どちらかが上だとか、正しいとか、そういう話ではありません。
でも、「想像してみる自由」だけは、誰にも等しく与えられています。
だからこそ、「選ばない」ことが自動的に決まってしまう前に、そっと未来の自分に目を向けてみる時間を持ってほしいのです。
私は今、49歳。
12歳のわが子と過ごす日々の中で、強く感じるのは——
子育てで得たものの多くが、成果や達成ではなく、「ただ一緒にいた時間」だったということです。
手をつないで歩いた夕方。
おどけた言葉に思わず吹き出した夜。
意味のないような会話の積み重ねが、心のどこかに“支え”として残っていく。
それは、どんなキャリアの肩書きにも勝る、“生き方の証明”のようなものだと感じることがあります。
私は、「子どもを持つべきだ」と主張したいわけではありません。
ただ、「子どもを持つこと」が損得やコスパで語れるものではないということ。
そしてそれが、心と人生の豊かさにつながるという可能性があるということ。
この実感を、そっと手渡したかったのです。
今の時代、「子育ては後悔する」「子どもがいない方が自由」などの声が目立ちます。
それは一つの真実ですし、尊重されるべき視点です。
でもその裏で、「子どもを持つことの普遍的な価値」までが見失われてしまわないように——
この文章が、そんな願いを込めた小さな灯りになればうれしいです。