今の時代、「子どもを持たない人生」が以前よりずっと可視化され、尊重されるようになってきました。
「結婚しない自由」「一人で生きる選択」——そういった個々の価値観が、ようやく“普通”として語れるようになってきたのは、社会の成熟の証でもあると思います。
私自身、「子どもがすべて」「家族がすべて」と思っているわけではありません。
人生の価値は、選択の数や型にはまった形で決まるものではないと考えています。
ただ、その一方で感じるのが、「子育て=非効率」「人生のコスパを悪くする存在」といった印象が、若い世代を中心に広がっていることです。
時間・お金・体力を吸い取られる、自由がなくなる、キャリアが遅れる——。
そんな風に見られてしまうことも、確かに子育ての一面ではあります。
けれど、それだけで語ってしまうと、あまりにももったいない。
なぜなら、子育てには“効率”や“成果”という言葉では表しきれないものが、確かにあるからです。
子どもと一緒にいる時間は、たしかに手間がかかるし、思い通りにいかないことばかりです。
でも、ふとした瞬間に見せる表情や、他愛ない会話の中に、なぜだか心が温かくなることがある。
たとえば——
疲れて帰った日の「おかえり」。
何気ないときに手をつないでくる小さな手。
夜中、眠そうに笑ってくれた顔。
こうした一つひとつが、「報酬」でも「成果」でもないのに、人生に意味や彩りを与えてくれることがあります。
それはまさに、“感情の資産”と呼びたくなるような、小さくて深い積み重ねです。
もちろん、「子どもを持つことが正解」だとは思っていません。
社会の変化、経済的な事情、個人の価値観——さまざまな要因によって、「産まない」という選択をすることも、まったく自然で尊重されるべきことです。
でも、もし今、「いつかは欲しいと思ってるけど…」と悩んでいる人がいるなら、
そのまま考えずに時が流れていってしまう前に、少しだけ立ち止まってみてほしいのです。
「産む」「産まない」という二項対立ではなく、
「どう生きたいか」「どんなつながりを大切にしたいか」という問いを、自分の中に持ってみる。
子どもを持つことは、“責任”や“重荷”としてだけではなく、「人生の中にもう一つの物語が生まれる可能性」として、見つめなおしてもいいのではないかと思うのです。
子育ては、たしかに大変で、不確定なことも多い営みです。
でもその一方で、「こんな景色があったのか」と思わせてくれる瞬間が、確実にあります。
それを、“選ぶかどうか”は人それぞれでいい。
でも、「考えてみる」「選択肢として持っておく」ことは、誰にとっても可能なはず。
子どもを持つことは、義務ではなく、あるかもしれない未来への静かなドア。
閉じたままにしておくのではなく、少しだけノックしてみる——
その小さな動作から、新しい何かが始まるかもしれません。