私が先日書いたコラム
【子どもを育てたくない若者が52%】「人生のリスクヘッジ」としての子育てという考え方
この中で、私はあえて「子育ては投資であり、ある意味ではリスクヘッジでもある」と表現しました。
この記事を執筆する際、私はこの言葉が持つ印象や、それに対して感じる人の感情をできるかぎり想像し、慎重に言葉を選びました。
それでもなお、「その表現に引っかかる方がいるかもしれない」という懸念は、最初から心のどこかにありました。
実際、もし私が別の立場だったら、「子どもを保険や道具のように語ってほしくない」と思ったかもしれません。
この表現に引っかかる方がいたとしても、その違和感は“人間らしさ”の証だと思います。だからこそ、こうして言葉にして対話を試みたいのです。
この記事では、なぜあの言葉をあえて使ったのか、そしてその奥にあった気持ちを、あらためて正直に書いておきたいと思います。
まず最初に、その違和感はとてもよく分かります。
「子どもは親の老後のための道具じゃない」「将来の備えとして語るのは傲慢では?」
そういった感覚は、至極もっともなことですし、私自身、似たような意見を何度も目にしてきました。
正直、この言葉を使うかどうかは最後まで悩みました。
「リスクヘッジ」という表現が、人によっては冷たく聞こえたり、子どもを手段として語っているように受け取られることも、十分に想像していました。
それでもあえて使ったのは、この言葉が、今の時代において「心の備え」「人とのつながりの意味」を考えるきっかけになると感じたからです。
私にとって「リスクヘッジ」とは、打算的な道具の話ではなく、人生の後半に差しかかって、誰かと共に過ごす時間の“価値”を見つめ直すことでもありました。
私も、「子どもは親のために生きるものではない」「それぞれが独立した人格であり、自由がある」という考えに、まったく異論はありません。
だからこそ、私があの言葉を使った背景には、単なる合理主義的な意味ではない、もっと個人的で、静かな実感があります。
もちろん、「リスクヘッジ」や「投資」といった言葉が、人によっては冷たく聞こえたり、距離を感じさせることもあるというのは承知しています。
それでもこの言葉をあえて選んだのは、単に綺麗な言葉だけでは伝わらない、リアルな心の動きがあったからです。
誰かと深くつながっているという感覚が、ふとした瞬間に、自分の不安や孤独を和らげてくれる。
それをどう表現するか迷った末、私にとっては「リスクヘッジ」という言葉が、最も近い感触を持っていたのです。
それは、損得を超えて、「人生の中で人との関係がどう作用していくか」を考えるための、一つの問いかけでもありました。
今、私の子どもは12歳になりました。
私は49歳になり、体力の衰えを実感する日が増え、ふと将来のことを考えることが増えてきました。
正直に言えば——日々の中で、ふとよぎるのは「自分の老後、大丈夫かな?」という素朴な不安です。
それを子どもに背負わせたいわけではない。
けれど——「チラリとでも考えないといえば、それはきっと嘘になる」、そう思うのです。
「リスクヘッジ」という言葉を使ったのは、未来の不確実さや孤独に対する“心の備え”という意味合いで、私はそう表現しました。
もちろん、それは見返りを期待しているわけでもなければ、「子どもがいなければ不幸だ」と言いたいわけでもありません。
ただ、正直に言うと、チラリとでも「この子がいてくれてよかった」と思うことは、私にとって自然な感情なのです。
この感覚を、経済用語のような言葉で語ることに抵抗を感じる人がいるのも当然です。
だからこそ、記事中でも「打算的に聞こえるかもしれない」「そうであってほしくない」と、何度も自問しました。
それでも、現実として私の内側にはそういう実感があった。だから、あえてリスクヘッジという言葉を使いました。
リスクヘッジとは、未来の不確実性に備えるという意味。
それはお金やモノの話ではなく、「自分はちゃんと誰かとつながっている」という感覚を、どう保っていくかという話だと思っています。
社会との接点が希薄になりがちな今、子どもと交わす他愛もない言葉や、一緒に食べる夕飯、帰り道の何気ない会話。
それが、未来のどこかで自分をそっと支えてくれる、“心の備え”のような存在になっている——そう感じることが増えました。
正直、子育てはコスパが悪いです。
お金も、時間も、体力も、思い通りにいかないことばかり。
それでも、「お父さん」と呼ばれたあの一言、眠たい目で笑いかけてくれた夜、手をつないだ帰り道——
そういう一瞬が、**“感情の資産”**として、日々積み重なっていきます。
誰かに誇れるものではないかもしれません。
でも、自分という人間の存在意義を、静かに肯定してくれるものでもあるのです。
もちろん、子どもを持つことがすべてではありません。
授からない人もいるし、持たないと決めた人もいる。
それぞれの選択肢が尊重されるべきです。
ただ私は、今になって思うのです。
子どもと過ごす日々が、将来の不安を打ち消す**“完全な答え”ではないけれど、“静かな備え”になっているのかもしれない**、と。
それは決して打算ではなく、「生き方に備える」という自然な心の動きのひとつなのかもしれません。
この話は、すべての人に当てはまるものではありません。
でも、もしあなたが今、自分の未来や老後のことをほんの少しでも考えることがあるのなら、
子どもという存在が、“心のリスクヘッジ”になる可能性もあることを、選択肢のひとつとしてそっと伝えたいと思っています。