前回の記事では、オウム事件をリアルタイムで経験した世代として、カルトの影響やネット社会での新しいカルト化について考えました。
しかし、カルト宗教は決して「他人事」ではなく、実は自分自身もその影響を受ける可能性がありました。
正直に言えば、私は山上徹也容疑者(安倍元首相銃撃事件の犯人)になっていたかもしれません。
彼の生い立ちや、母親がカルト宗教にのめり込んだ話を聞いたとき、自分の過去と重なる部分が多いと感じました。
もちろん、彼と同じ道を歩むことはありませんでしたが、もし環境が少し違っていたら、自分もカルトに振り回される人生になっていたのではないかと思うのです。
私の母は、不登校になった私を支えようとしてくれました。
しかし、その方法が「カルト的なもの」に近いものでした。
小さい頃、母に連れられて**「ビデオセンター」や「よくわからない祈祷」に行ったことがあります。
そこでは、何時間も特定の教えを説く映像を見せられたり、宗教的な儀式に参加させられたり**しました。
当時の私は、意味がよくわからないまま、ただ「何か特別なことをしているのかな?」くらいの気持ちで付き合っていました。
しかし、大人になった今、振り返ると、それは統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の集会だったのです。
母は当時、不登校の私を何とかしようと必死だったのだと思います。
「ここに行けば、何か変わるかもしれない」「神様が助けてくれるかもしれない」——そんな気持ちだったのでしょう。
ただ、幸いなことに母は統一教会に激しくハマることはありませんでした。
・多額の献金をすることもなかった。
・家を売り払うようなこともなかった。
・家族を犠牲にしてまで信仰することはなかった。
そのため、私はカルトの深い沼に引きずり込まれることはなく、普通の生活を送ることができました。
しかし、ほんの少しの違いで、私の人生は大きく変わっていたかもしれません。
もし母が統一教会に完全にのめり込み、私がその環境で育っていたら、どうなっていたでしょうか?
・家に宗教関連のポスターや本が溢れ、毎日のように集会に参加させられていたかもしれません。
・「献金しなければ救われない」と言われ、生活が破綻していたかもしれません。
・「この世は堕落している」と教え込まれ、外の世界と断絶していたかもしれません。
山上徹也容疑者のケースを見て、そんな**「もしも」の世界が頭をよぎりました。**
彼もまた、母親の信仰によって家庭が崩壊し、苦しい人生を歩んできたのです。
彼の場合は、母親が統一教会に多額の献金を行い、家が破産しました。
その影響で、彼自身の人生は大きく狂い、最終的に悲劇的な結末を迎えました。
私の人生がそうならなかったのは、本当に偶然だったのかもしれません。
私の母は統一教会の深みにハマらなかったとはいえ、実際にカルトがどのように人を支配していくのかを間近で見てきました。
カルト宗教は、「救い」を求めている人をターゲットにします。
母が統一教会の集会に足を運んだのも、**「不登校の息子を助けたい」**という気持ちがあったからでしょう。
こうした不安を抱えている人に、カルトは**「ここに答えがある」「この教えに従えば救われる」**と誘いをかけます。
一度カルトに入ると、信者同士のつながりが強まり、外の世界と距離が生まれます。
「この世界は邪悪だ」「教団だけが真実を知っている」と教え込まれることで、抜け出しにくくなります。
カルトが求めるのは、最終的には信者からの献金です。
統一教会は「霊感商法」などで多額の寄付を求めることで知られています。
私の母は多額の献金をすることはありませんでしたが、もし少しでも深く関わっていたら、家の経済状況は大きく変わっていたかもしれません。
幸いなことに、私はカルトの影響を大きく受けずに済みました。
しかし、世の中には、今でもカルトによって人生を狂わされた人たちが大勢いるのが現実です。
そして、ネット社会の発展によって、カルトの手法はさらに巧妙化していると感じます。
私は、ほんの少しの違いで、カルトに引き込まれる人生を歩んでいたかもしれません。
そして、それは誰にでも起こりうることです。
カルトは、不安や悩みを持つ人々の心の隙間に入り込み、人生を奪っていきます。
だからこそ、私たちは、カルトの手法や危険性を知り、警戒する必要があります。
山上容疑者の事件は、多くの人にとって衝撃的な出来事でした。
しかし、そこから学ぶべきことは、**「カルトが人を破壊するメカニズム」**です。
もし過去の自分に伝えられるなら、こう言いたいです。
「あなたは自分の人生を、自分で選ぶことができる。どんな言葉にも、どんな教えにも、疑問を持ち続けることが大切だ」と。