私は1976年生まれで、オウム真理教の事件をリアルタイムで経験した世代です。
1995年3月に起こった地下鉄サリン事件は、ちょうど専門学校1年生の終わりごろに発生しました。
私はその頃、田舎から東京に出てきたばかりで、新しい環境に適応しながら、将来について考える日々を過ごしていました。
また、この時期は**「人生の真実とは何か?」を探し求めていた時期でもありました。
『新世紀エヴァンゲリオン』が放送を開始し、「人間とは何か?」**「世界の本質とは?」といったテーマに惹かれ、アニメだけでなく、哲学や宗教、心理学の本を読み漁ることもありました。
そうした空気の中で、オウム事件が発生したのです。
ニュースでは、**「理系エリートがカルトにのめり込んだ」**と報じられていました。
「なぜ彼らはオウムに入ったのか?」と考えたとき、単に怪しげな宗教団体に騙されたわけではなく、彼らなりに世界の矛盾や不条理に疑問を抱き、「真実」を求めた結果だったのではないかと思ったのです。
当時の私は、自分自身のアイデンティティを確立できずにいました。
オウムの信者たちもまた、何かを信じたくて、何かにすがりたくて、その道を選んだのではないでしょうか。
オウム事件は、単なる犯罪事件ではなく、「この社会のどこかに歪みがあるのではないか?」という不安を可視化した出来事だったと感じています。
1990年代の日本は、すでに「価値観の相対化」が進んでいました。
バブル経済が崩壊し、これまで信じられてきた「安定した未来」という幻想が揺らぎつつありました。
オウム真理教は、ヨーガや仏教の要素を取り入れながらも、「超能力」「輪廻転生」「物理法則を超越する修行」といった要素を組み合わせた独特の思想を掲げていました。
麻原彰晃は、「この社会の成功は無意味だ」「真実を知る者だけが救われる」といった主張を行い、それが一部の若者にとって魅力的に映ったのです。
当時は「一流大学を出て、大企業に就職すれば安定した人生が待っている」という価値観が一般的でした。
しかし、バブル崩壊によって、このモデルが揺らぎ始め、「このままで本当にいいのか?」と疑問を抱く人が増えていきました。
特に理系の若者たちは、科学の限界を知り、より深い真理を求めていたのかもしれません。
オウムは「この世界は偽りで、悟りを得た者だけが本当の世界を知ることができる」と主張し、それが彼らの心に響いたのではないでしょうか。
事件から30年近くが経ちましたが、オウムのようなカルト組織はもう存在しないのでしょうか?
実際には、オウムの思想構造はネット社会に拡散し、より強力になっていると感じます。
かつてのカルトは、リアルな教団施設が必要でしたが、現在ではインターネット上で活動できるようになりました。
SNSやYouTubeを通じて、カルト的な思想が広まりやすくなっています。
👉 「カルト」は形を変え、ネット上で人々を囲い込むようになっているのです。
オウムは組織的に「信者の洗脳」を行っていましたが、今はAIがその役割を担う可能性があります。
👉 次世代の「オウム」は、リアルな教団を持たず、ネット上で拡散し、AIを駆使するかもしれません。
1995年、田舎から東京に出てきたばかりの私は、「この社会には何か隠された真実があるのではないか?」と考えていました。
しかし、オウム事件を通じて、「間違った真実」を信じた人々が、極端な行動を起こした結果であったことを痛感しました。
今のネット社会では、オウム的な世界観がさらに拡散し、社会の分断が進んでいます。
だからこそ、以下の点を意識することが大切です。
オウムは消えましたが、その思想は今もネットの中に生きています。
そして、AIやSNSがそれを加速させています。
だからこそ、私たちは**「自分の頭で考え、行動することの重要性」**を改めて認識しなければなりません。
歴史は繰り返す——しかし、学ぶことで防ぐこともできるのです。