「ちょっとしたお礼に」「お詫びの気持ちとして」「ご挨拶代わりに」——
世の中、何気なく菓子折りを持っていくと、人間関係がスムーズにいくことが多い。
これには驚かされると同時に、正直なところ「ちょっと苦手だな…」と思ってしまうこともある。
というのも、私は基本的に「好きでもないものをもらう」ことに抵抗があるし、
たとえ好きなものでも「今はいらないな…」というタイミングで受け取るとプレッシャーを感じるタイプだから。
それでも、この文化が意外と重要だということも理解している。
だからこそ「苦手だけど無視できない、でも苦手」という複雑な気持ちについて、今回は書いてみようと思う。
菓子折りを持っていくだけで、場の空気が柔らかくなる——これは紛れもない事実。
職場でも、
「お世話になっています。よかったらどうぞ」と手渡すだけで、ちょっとした距離が縮まる。
初対面の人でも、菓子折りひとつで「気遣いができる人」と好印象を持たれることも多い。
さらに、何かやらかしてしまったとき。
「この前はすみませんでした。これ、よかったら…」と渡すと、謝罪の言葉だけでは埋めきれない微妙な空気を和らげてくれる。
謝罪+菓子折りのコンボは、想像以上に効力があることに驚かされる。
日本社会において、菓子折りは「人間関係を円滑にする万能アイテム」みたいなものなのかもしれない。
とはいえ、私はこの文化が得意なわけではない。
むしろ、もらう側としても、贈る側としても、ちょっと苦手だなと感じることが多い。
✔ 好きでもないものをもらうと微妙な気持ちになる
「これ、よかったらどうぞ!」と手渡されると、断れないし、ありがたく受け取るしかない。
でも、正直そこまで好きじゃないお菓子だったりすると、ちょっと困る。
✔ 好きなものでも、欲しくないタイミングがある
たとえば「最近甘いもの控えてるんだよな…」というときに、大量のお菓子をもらう。
もちろん「せっかくだから食べなきゃ」という気持ちになるけれど、結果的に消費に追われることも。
✔ 「お返ししなきゃ」という無言のプレッシャー
たとえ「気にしなくていいよ!」と言われても、何かの機会に「こちらもどうぞ」と返さなきゃ…という気持ちになる。
「お返しのために何かを選ばなきゃ」と考え始めると、もうそれだけでエネルギーを使ってしまう。
✔ 「何を選べばいいのか問題」に直面する
せっかく贈るなら、相手が喜ぶものを選びたい。
でも、相手の好みを100%把握しているわけではないから、「これでいいのかな?」と迷う。
✔ 「お返しを期待されるのでは?」という不安
私は「渡したらそれでOK!」と思っているタイプなのに、
「これ、お返ししなきゃって思わせちゃうかな…」と余計なことを考えてしまう。
✔ 渡すタイミングや言い方が難しい
ただ渡すだけなのに、「なんか不自然にならないかな?」と考えすぎてしまう。
こういうのがサラッとできる人が羨ましいなと思うことがある。
「苦手ならやらなきゃいいのでは?」と思うかもしれない。
でも、この文化を完全にスルーするのも、また難しい。
たとえば、職場の異動や退職のとき。
菓子折りを持たずに挨拶をすると、なんとなく場が締まらない感じがする。
親戚の集まりでも、何も持っていかないと「手ぶらで来たの?」という空気になることもある。
形式的とはいえ、持参したお菓子が「円滑な関係維持」の役割を果たしているのは事実なのだ。
そんなわけで、「苦手だけど、うまく付き合うしかない」というのが、私の今の結論になっている。
苦手だからといって完全に拒否するのではなく、「自分なりのスタンス」を決めておくと気持ちが楽になる。
たとえば、私が意識しているのはこんなルール。
「消えもの」しか贈らない・もらわない
→ 長く残るもの(置物や雑貨)は負担になるので、お菓子やコーヒーなどの消えもの限定にする。
「お返ししない」と決めておく
→ もらったら「ありがとう!」で終わりにする。無理にお返しを考えない。
相手の好みがわからない場合は「定番」でOK
→ 深く考えすぎず、「とりあえず無難なもの」でいいと割り切る。
自分が負担を感じるなら、渡さない選択肢もアリ
→ 無理してやるものではないので、必要な場面だけ使う。
こうやって自分なりのルールを決めると、「苦手だけど、まあいいか」と思えるようになった。
菓子折り文化は、日本の人間関係において意外と大きな役割を果たしている。
苦手な人間関係でも、これひとつでスムーズになることもあるし、謝罪や感謝の気持ちを伝えるツールとしても有効。
とはいえ、もらう側・贈る側どちらの立場でもプレッシャーを感じることがあるのも事実。
だからこそ、自分なりのルールを決めて、無理のない範囲で付き合うのがベストなのかなと思う。
「苦手だけど、重要」
この文化とのちょうどいい距離感を探しながら、うまく折り合いをつけていきたい。