最近、ある画家さんの「記念艦 三笠」を描いた作品を拝見しました。その絵は非常に素晴らしく、思わず三笠に対する熱い想いが込み上げてきました。
正直なところ、三笠の知名度は決して高いとは言えないように思います。私の体感では、大和を知っている人が100人いるとしたら、三笠を知っているのはせいぜい30人ほどではないでしょうか。この差は、大和が映画やアニメで多く取り上げられてきたこと、そして「世界最大の戦艦」というインパクトの強さが影響しているのかもしれません。
とはいえ、三笠があまり知られていないのは非常にもったいないことです。なぜなら、三笠こそが日本の歴史や精神を象徴する戦艦だからです。三笠は「勝利の象徴」として歴史に刻まれた存在のはずです。
三笠は、1904年の日露戦争において日本海海戦の勝利を導いた旗艦です。東郷平八郎の指揮のもと、日本はロシアのバルチック艦隊を撃破し、国際社会での地位を確立するきっかけを作りました。この戦いは、日本が世界の強国と肩を並べるための重要な転機となりました。
三笠はイギリスのヴィッカース社で建造され、1902年に就役しました。当時、日本は近代化の一環として海軍力の強化を進めており、イギリスの最新鋭技術を積極的に取り入れていました。三笠は前弩級戦艦であり、排水量15,140トン、主砲として40口径30.5cm連装砲を4門装備し、当時の海軍技術の粋を集めた艦でした。
しかし、1905年の日本海海戦直後、佐世保港で不運にも弾薬庫の爆発事故により沈没。その後、引き揚げ・修復され、再び日本海軍の戦力として復帰しました。この復旧過程もまた、日本の技術力の向上を示す象徴的な出来事でした。
一方、大和は日本が完全に独自技術で建造した戦艦であり、日本海軍の象徴として1941年に竣工しました。設計は秘密裏に進められ、当時の世界最大の戦艦として排水量72,800トン、主砲には46cm三連装砲を3基搭載し、圧倒的な火力を誇りました。しかし、航空機を主力とする戦争の潮流には適応できず、戦艦の決定的な活躍の場はほとんどありませんでした。
大和は1945年、沖縄戦に向かう途中で米軍機の猛攻を受け、わずか数時間で沈没しました。日本の造船技術の集大成として設計されたものの、戦局を変えることはできず、その最期は多くの人々の記憶に残る悲劇となりました。
個人的には、大和の技術や造形美にはロマンを感じます。しかし、大和ばかりが語られ、「三笠の意義」があまり注目されていないのは、正直もったいないと感じています。
日本人は「大和好き」な傾向があるように思います。大和はその壮絶な最期も相まって、多くの人の心を捉えてきました。しかし、それは「負けることの美学」に対する憧れにもつながっているのではないでしょうか。
しかし、「負けることの美学」よりも、「勝ち続ける戦略」を大切にするべきではないでしょうか。そう考えると、日本人はもっと三笠に注目し、その意義を再評価する必要があるように思います。
三笠と大和の知名度に大きな差がある背景には、いくつかの要因があると考えられます。
三笠は日露戦争(1904~1905年)で活躍し、大和は第二次世界大戦(1941~1945年)で運用されました。第二次世界大戦は近代史の中心的な出来事であり、教育やメディアでも頻繁に取り上げられます。対して、日露戦争は歴史的に重要ではあるものの、太平洋戦争ほどの国際的な影響力はなく、結果として一般の関心が薄れてしまっているのかもしれません。
「世界最大」「最強の戦艦」といったキャッチーな要素が大和にはあるのに対し、三笠にはそうした要素が少ないように思います。また、「悲劇的な最期」を迎えた戦艦は人々の記憶に残りやすく、大和の最後は多くの映画やドラマで描かれています。
また、呉の大和ミュージアムなどを見ると、日本の造船技術の発展とともに語られています。それはそれで素晴らしいことですが、大和のように国産技術を結集して世界最大の戦艦を作り上げたものの、結果的に敗北してしまったという事実と、一方で三笠のように外国製の戦艦をうまく活用し、戦略的に勝利を収めたという事実を、日本人はもっと深く考えるべきではないでしょうか。
これは、現在の安直な移民政策に見られるような、「ただ外国のものを受け入れればいい」という単純な話ではなく、かといって極端な国粋主義に陥るべきでもありません。重要なのは、日本がこれまで歴史の中で「外から学びながらも、自国の文化やアイデンティティを維持する」というバランスを取り続けてきたことです。
三笠のように、外国製の技術を受け入れ、それを効果的に活用することで国力を高めた経験がある一方、大和のように純国産の技術で最高峰の戦艦を作り上げたものの、戦略の欠如によって十分な成果を上げられなかった例もあります。
この二つの戦艦の対比から学ぶべきなのは、「技術や戦略を柔軟に取り入れつつ、最適な形で活用することが重要である」ということです。現代の日本においても、単に外国の制度や価値観を無批判に取り入れるのではなく、自国の強みを活かしながら適応するという姿勢が求められているのではないでしょうか。
日本人は大和をよく知っています。一方で、三笠のことはあまり知られていません。しかし、三笠は日本の近代化を象徴する重要な戦艦であり、勝利をもたらした歴史的な存在です。
これからの日本に必要なのは、「勝つために努力し、変化を恐れない精神」ではないでしょうか。そう考えると、日本を象徴する艦として、三笠にもっと注目が集まっても良いように思います。
そして、この考え方は、様々な危機に直面している現在の日本にも通じるものがあります。変化を受け入れながらも、日本らしさを守ること。そのバランスをどのように取るかが、これからの日本にとって大きな課題なのではないでしょうか。
三笠は、その象徴となる存在かもしれません。だからこそ、日本人はもっと三笠のことを知り、その価値を再評価すべきではないかと考えています。