ネットを徘徊していると、とあるAIイラストについて書かれた記事を見かけました。
そこで面白かったのは、筆者の方が本題に入る前に、自分の立場をあれこれと説明していること。
賛成でも反対でもない、中立ですよ・・といった長々とした前置きが。
どうやらこれは、賛否両論渦巻くネット言説界において必要不可欠な儀式のようです。
なるほど、この先端技術に対しては、さまざまな「ご意見」が飛び交っており、それらに対して予防線を張りたくなる気持ちは本当に良くわかります。
そして、これほどまでに人々が予防線を張る背景には、社会全体の強い嫌悪感が存在します。
技術革新の波は、常に賛否両論を巻き起こしますが、AIイラストは特に注目の的。
それもそのはず、この技術は画期的なブレイクスルーを成し遂げていますから、テクノフォビア、つまり新しい技術への根強い恐怖や嫌悪感が強く働くのも無理はありません。かつて写真がデジタル化された時も、似たような反発がありました。
そして、私自身もその波に飲まれそうになった一人です。
技術の歴史を顧みれば、AIイラストが市民権を得る日は、おそらく思っているよりずっと早く訪れるでしょう。
そして、面白いことに、その流れの中で「人の手によるアート」が再び見直される瞬間が来るのでしょう。
想像してみてください。AIイラストが日常風景の一部となった世界で、突如、人の手が描いた「不完全な」絵が、新たな価値を見出されるのです。技術的に巧技を極めた部分より、下手くそで不完全な部分が「エモい」と絶賛されるようになり、人間独自の感情や温もりが込められたアートが、一つのジャンルとして認知されるようになるのです。
今日では、AIイラストへの抵抗感が強いかもしれませんが、やがてはその風潮も変わり、技術と人間の創造性が共存する豊かな文化が花開くでしょう。
これは楽観的なイメージですが、AIが私たちを人間らしさへと再び導いてくれるかもしれません。それは、技術革新の一幕として、後世に語り継がれる物語となるかもしれませんね。