部屋を片付けられない人のブログ

車椅子インフルエンサーによるイオンシネマ事件で個人的に思い出したこと。あえてやらなかった介助と、微妙な空気

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前回のブログでも書きましたが、最近、イオンシネマのある出来事が、私たち社会全体に重要なメッセージを送っています。車椅子のインフルエンサー、中嶋涼子さんが映画館で不適切な対応をされたとして問題を提起したこの事件は、障害を持つ人々と社会との関係について、私たちに深く考えさせるものがあります。

この一件によって、イオンエンターテイメントは公式に謝罪し、再発防止と従業員教育の徹底、設備の改善を約束しました。そして、それに対する賛否両論がSNSで多く見られました。

しかし、この問題はイオンシネマだけの問題ではありません。私たち全員が直面している、より広範な社会的課題の一面を示しています。

障害を持つ人々への理解と配慮は、社会全体で共有されるべき価値です。

私たち一人ひとりが、障害についての正しい知識を持ち、相互理解に基づく対応を心がけることが重要です。この事件をきっかけに、障害者の日常生活における障壁について、より一層の意識を持つことが求められています。

しかし、それは決して簡単なことではないとも思います。

かつて、私自身がイベントの主催者として経験した一件を思い出します。

その時、私が運営していたイベントは、場所の制約上、バリアフリー対応ができていませんでした。

ある時、車椅子を使用している方が来場されました。車椅子を持ち上げる必要がありましたが、私個人としては、事故があった場合の責任を負うことができないと判断し、その対応を断りました。

結果として、周囲の有志が手を貸し、車椅子を持ち上げて移動させることになりましたが、私自身は、事故があった場合の責任を考慮し、直接的な対応を避けざるを得ませんでした。

この時の微妙な空気や、後に感じた無力感は、今でも忘れられません。

後年思い返せば私は眼の前のイベント運営の諸々の事柄で頭が一杯で、バリアフリーについては全く意識が向いていませんでした。

適切な対応ということであれば、事前の準備と対策として、事前に専門のサポートチームやボランティアを手配しておくなどの対策を講じたり、事前に会場のアクセシビリティ情報を明確にして、参加者が自身の状況に合わせた準備をできるようにする。

また、可能な限り、車椅子を使用している参加者に対して別の入口や移動手段を案内するなど、代替のアクセス方法を提案するなどができたのかもしれませんが、心身ともに余裕がない中で、そこまで意識が回っていませんでした。

この経験は、障害者支援に対する「べき論」と、実際に対応をする際の現実のギャップを象徴しています。

イベント運営で手一杯だった私にとって、理想を追求する余裕はありませんでした。

もし、より高い影響力を持つ車椅子インフルエンサーが訪れて、同様の状況に遭遇していたら、その影響は計り知れないものがあったでしょう。

このような状況は、私たちが日常的に直面する問題の一端を示しています。

多くの場合、私たちは自分自身や直接の関係者を支えることで精一杯であり、社会全体に対する理想を追求する余裕を持てないことがあります。

しかし、それは私たちがその問題に無関心であるとか、理想に反対しているわけではありません。

単に、現実の制約の中で何を優先すべきか、日々の判断を迫られているだけです。

「べき論」は、私たちに理想を示しますが、その理想を現実のものとするためには、私は、私達は何ができるのでしょうか?

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