饒舌なる静かな多様性論者のブログ

テクノフォビア:昔も今も変わらぬ人類の恐れの心理構造

このサイトはプロモーションを含んでいます。

時代が変わっても、人間の根底にある恐怖や不安はそれほど変わっていないように思えます。

最近、「テクノフォビア」という言葉を耳にしました。これは、新しい技術やその進歩に対する恐怖や嫌悪感を指す言葉です。

単に「新しいテクノロジーがなんとなく怖い」という感覚だけでなく、技術の進歩が自分の生活や価値観、社会の秩序を脅かすのではないかという深層的な不安を含んでいます。

この言葉はもともと19世紀後半、産業革命の時代にさかのぼります。機械によって労働者の仕事が奪われることを恐れた人々の間で生まれた感情が、その後「ラッダイト運動」として爆発したことでも知られています。

現代のテクノフォビアは、AIやロボット、自動運転、バイオテクノロジー、さらにはメタバースやディープフェイク技術などにまで広がっており、**「制御不能になるかもしれない」「人間の領域を侵されるのではないか」**という漠然とした不安がその根底にあります。

面白いのは、こうした不安は必ずしも非合理なものとは限らないということです。過去には、原子力技術や遺伝子操作技術なども、実際に社会的・倫理的問題を引き起こしてきました。だからこそ、テクノフォビアは単なる「臆病さ」ではなく、人間が変化にどう向き合うかという重要なテーマでもあるのです。

現代では、AI(人工知能)や自動運転車などの急速な技術進化が目覚ましいですが、これらに対する一部の反応は科学に対する嫌悪感と言えるでしょう。AIが人間の仕事を奪う、自動運転車が交通事故を引き起こす可能性があるといった懸念は、新しい技術に対する不安と恐怖を表しています。

思い起こせば、江戸時代の人々は写真を恐れ、魂を抜かれると信じていたと言われています。これを聞くと、現代人から見ればどこか滑稽に感じるかもしれません。

でも、その写真――今では、私たちの生活に欠かせない存在になっていますよね。
SNSでは誰もが日常的に写真を撮り、加工し、共有しています。Instagramをはじめとしたプラットフォームでは、世界中の人が「写真を楽しむ」ことに夢中です。

それどころか、食べ物を食べる前に写真を撮らずにはいられなかったり、風景よりも「映える構図」を優先したり…
当時の人が恐れていた「魂を抜かれる」感覚、現代では**“写真に魂を捧げてる”**くらいの勢いかもしれません(笑)。

そう考えると、笑い話に思える“過去の恐れ”も、実は「新しいものへの戸惑い」としては今の私たちとそれほど変わらないのかもしれません。

しかし、この話をもう一度思い返してみると、我々現代人もそう遠くない過去の人々と同じような感情を持っているのではないかと感じざるを得ません。

しかし、こうした恐れは、必ずしも技術そのものよりも、それによってもたらされる変化への不安に根ざしています。人間は本質的に変化を恐れる生き物であり、未知への恐怖は進化の過程で生き残るために重要な役割を果たしてきました。そのため、テクノフォビアのような感情は、人間の本能的な部分から来ているとも言えるでしょう。

一方で、技術の進化は、人類にとって多くの利益をもたらしてきました。過去に人類が直面した数々の問題を解決し、生活を豊かにする手段を提供してきたのです。

際、AIは私たちが気づかないうちに、すでに日常生活の中で多くの利便性をもたらしています。
たとえば、スマートフォンの顔認証、ネットショッピングのレコメンド機能、渋滞を避けるカーナビのルート最適化など、AIは裏方として私たちの生活を支えてくれている存在です。

また、自動運転車についても同様です。
アメリカの自動運転技術企業Waymoが2023年に発表した報告によると、同社の完全自動運転車は人間の運転に比べて、物損事故の請求件数が88%減少、人身事故の請求は92%減少という結果が出ています(※1)。これは、2500万マイル以上の走行データを基にした実証結果です。

一方で、万が一事故が発生した場合の責任の所在についてはまだ議論が続いており、現段階では法制度や倫理の面で追いついていない部分もあるのが現実です。
つまり、技術自体は高い安全性を備えつつある一方で、それを受け入れる社会の仕組みや感情面は、まだ整っていないと言えるのかもしれません。

この点から考えると、テクノフォビアに対処するためには、新しい技術を理解し、それを安全に、有効に活用する方法を学ぶことが重要です。教育や情報の普及により、技術への理解を深めることで、不安や恐怖を軽減することができるでしょう。また、技術の進歩には倫理的な考慮が必要であることを忘れてはなりません。人間らしさを保ちつつ、技術の恩恵を享受するためのバランスを見つけていくことが求められています。

江戸時代の人々が写真に対して感じた恐れと現代のテクノフォビアは、時代を超えた人類の変化への抵抗感を示しています。しかし、過去の技術革新が示してきたように、恐怖を乗り越え、新しい技術と共生する方法を見出していくことで、人類はさらなる進歩を遂げていくことができるでしょう。未知への恐れを克服し、新しい可能性に目を向けていくことが、進化していくための鍵であると私は思います。

そして、こうした問題に向き合う際には、私たち一人一人がテクノロジーとどのように関わっていくかを考える良い機会でもあります。技術の進歩に伴う変化を恐れることなく、それを活用し、新しい可能性を模索していく姿勢が大切であると思っています。そして、技術がもたらす未来においても、人間らしさを大切にし、互いに支え合いながら前進していくことができればいいなと思っています。

この記事を書いた人
SNSでフォローする