時代が変わっても、人間の根底にある恐怖や不安はそれほど変わっていないように思えます。
最近、「テクノフォビア」という言葉を耳にしました。これは、新しい技術やその進歩に対する恐怖や嫌悪感を指す言葉です。
現代では、AI(人工知能)や自動運転車などの急速な技術進化が目覚ましいですが、これらに対する一部の反応は科学に対する嫌悪感と言えるでしょう。AIが人間の仕事を奪う、自動運転車が交通事故を引き起こす可能性があるといった懸念は、新しい技術に対する不安と恐怖を表しています。
思い起こせば、江戸時代の人々は写真を恐れ、魂を抜かれると信じていたと言われています。これを聞くと、現代人から見ればどこか滑稽に感じるかもしれません。しかし、この話をもう一度思い返してみると、我々現代人もそう遠くない過去の人々と同じような感情を持っているのではないかと感じざるを得ません。
しかし、こうした恐れは、必ずしも技術そのものよりも、それによってもたらされる変化への不安に根ざしています。人間は本質的に変化を恐れる生き物であり、未知への恐怖は進化の過程で生き残るために重要な役割を果たしてきました。そのため、テクノフォビアのような感情は、人間の本能的な部分から来ているとも言えるでしょう。
一方で、技術の進化は、人類にとって多くの利益をもたらしてきました。過去に人類が直面した数々の問題を解決し、生活を豊かにする手段を提供してきたのです。この点から考えると、テクノフォビアに対処するためには、新しい技術を理解し、それを安全に、有効に活用する方法を学ぶことが重要です。教育や情報の普及により、技術への理解を深めることで、不安や恐怖を軽減することができるでしょう。また、技術の進歩には倫理的な考慮が必要であることを忘れてはなりません。人間らしさを保ちつつ、技術の恩恵を享受するためのバランスを見つけていくことが求められています。
江戸時代の人々が写真に対して感じた恐れと現代のテクノフォビアは、時代を超えた人類の変化への抵抗感を示しています。しかし、過去の技術革新が示してきたように、恐怖を乗り越え、新しい技術と共生する方法を見出していくことで、人類はさらなる進歩を遂げていくことができるでしょう。未知への恐れを克服し、新しい可能性に目を向けていくことが、進化していくための鍵であると私は思います。
そして、こうした問題に向き合う際には、私たち一人一人がテクノロジーとどのように関わっていくかを考える良い機会でもあります。技術の進歩に伴う変化を恐れることなく、それを活用し、新しい可能性を模索していく姿勢が大切であると思っています。そして、技術がもたらす未来においても、人間らしさを大切にし、互いに支え合いながら前進していくことができればいいなと思っています。