部屋を片付けられない人のブログ

東日本大震災から想う、時を超えて忘れてしまう災害の記憶と、それを継承する私たちの役割

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東日本大震災から13年。あれから早くもこんなに時間が経ってしまったんですね。この事実を改めて思い知らされると、時の流れの速さにただただ驚かされます。私自身も、中年と呼ばれる年齢に差し掛かり、若い頃とは違う視点で物事を見るようになりました。特に災害という、人生において避けては通れない大きな出来事について、考える機会が増えたように思います。

若い頃、1995年に発生した阪神淡路大震災のニュースは、私にとっても大きな衝撃でした。その時は「これは一生忘れない」と感じていました。しかし、時が流れるにつれて、その時の感情は鮮明さを失い、日常生活の中で徐々に背景に退いていきました。この変化は、私だけのものではないことを年齢を重ねる毎に感じています。

災害の記憶が薄れていくことは、一見すると人間の心理の弱さや無関心のように思えるかもしれません。しかし、これは人間が持つ忘却の機能が、私たちを精神的な負担から守るために働いている証拠でもあります。忘れることで、私たちは再び前を向いて歩き出すことができるのです。

とはいえ、忘れ去ることと、教訓を学び取ることは異なります。原爆、大地震、豪雨、コロナ禍など、歴史を通じて発生した様々な災害は、私たちにとって重要な学びを含んでいます。これらの経験から得た知識や教訓は、未来の災害への備えとして、次世代に伝えていくべき貴重な財産です。

忘れることは、時に避けられない人間の性ですが、大切なのはその中でも教訓を生かしていくことです。例えば、東日本大震災を振り返ることで、防災意識の向上や地域コミュニティの絆を強化する機会に変えていくことができます。これは、災害に対する私たちの姿勢を変える上で、とても重要なステップです。

災害の記憶を風化させず、しかし過去に縛られることなく、私たちはどのようにしていけばいいのでしょうか。私自身も含め、私たちはこれからも災害を記憶し、その教訓を生かしていく努力を続けていかなければならないと思います。そして、それが私たちの社会をより強く、より柔軟にするための重要な鍵であると信じています。

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