部屋を片付けられない人のブログ

人類がAIによって滅びるという未来についての考察

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私たちは今、AIという存在によって、想像を超えた速さで変化する社会の真っ只中にいます。そのなかでよく議論されているのは「AIが人類を滅ぼすのか?」という問いです。この問いには悲観論から楽観論までさまざまな議論・仮説がありますが、私がイメージしているのは、「人類がAIによって衰退していく」というシナリオです。

これは映画「ターミネーター」や「マトリックス」に代表されるような、AIが人類を打ち負かすディストピアの世界観とは一線を画し、現実の世界では、AIによって人類が「ゆるやかに」滅んでいく一つの大きな一里塚になるのではないかということです。

この考えは、私たちが映画で見るようなAIの反乱ではなく、AIが私たち個々人の幸せを追求する過程で、最終的には人類がどこかで道を誤り、自らの終焉を招くかもしれないというものです。

考えてみてください。私達は技術の進歩により社会の最適化が進むにつれて、人類は自らの存在意義や価値を問い直す必要に迫られて来ています。日々の仕事や学業などでの成果を求めるため便利さや効率性を日々追求していますが、そのための社会や技術の進化は、人類にとってプラスの影響をもたらすこともあれば、思わぬ形で社会を衰退させる原因ともなり得ます。

たとえばインターネットの発展は社会単位での情報の最適化という恩恵をもたらしましたが、それらは大規模な情報の爆発的感染(インフォデミック)をもたらしました。これはコロナ禍における様々な情報の爆発的感染による悪影響として我々に大きくのしかかりましたし、民主主義国に見られる極端な政治的な偏りもその弊害と言えるでしょう。

AIがもたらす「最適化」は、人間の生活を豊かにする一方で、意図しない副作用を引き起こす可能性もあります。AIによる意思決定が増えれば増えるほど、人間はその過程から排除され、最終的には自らの意志で決断を下す能力を失ってしまうかもしれません。これは、個人が自分自身の人生に対して持つべき主体性や自立心を侵食することに他なりません。

このように個々人の生活が最適化されていく過程で、人間が社会的な生き物であるという本質からどんどん遠ざかっていくことが、長期的な衰退の一因となっているのではないでしょうか。社会の持続可能性は、単に経済や技術の発展だけではなく、人間同士の関わり合いや共感、支援のネットワークによっても大きく左右されます。しかし、AIによる最適化が進むことで、これらの人間的要素が希薄化し、社会全体の衰退を招く可能性があります。

この考えは、ただの空想や遠い未来の話ではありません。実際に先進国では、個人の権利拡大や技術の進化という「社会の最適化」が、少子化や社会の衰退といった新たな問題を引き起こしています。個人の生活が便利になり、情報が氾濫する一方で、人々はますます孤立していき、コミュニティの結束力は弱まっています。AI技術の発展はこの傾向をさらに加速させる可能性があります。例えば、労働市場の変化により、人間にしかできない仕事が少なくなっていくことが予測されています。これにより、社会の構造自体が変わり、人間の役割や価値観も大きく変容していくかもしれません。

この問題に対して、簡単な解決策はありません。しかし、AIと共存し、それを有効に活用することで、人類が直面する社会的な課題を解決する手段とすることも可能です。それには、テクノロジーに対する深い理解と、それをコントロールするための倫理的な枠組みが必要不可欠です。

最後に、私たちはAIの進化に伴う変化を恐れることなく、それを受け入れ、新たな社会を構築していく柔軟性と創造力が求められています。AIによって人類が「ゆるやかに」滅びるのではなく、共に成長し、進化する道を選ぶことができれば、それは人類にとっての大きな一歩となるでしょう。この考えを深め、実現に向けて努力していくことが、これからの私たちの使命であると強く感じています。

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