部屋を片付けられない人のブログ

セルフレジやタブレット注文の使い方に疲れる: ユーザビリティ(使い勝手)向上の重要性

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最近、スーパーマーケットでのセルフレジ・セミセルフレジ。飲食店でのタブレット注文がすっかり浸透してきましたね。

個人的にはこういうIT化による社会の最適化は見ていて気持ちがいいものがありますが、一方でそれに不安や不満を感じている自分自身がいることに気が付きました。

私は、スーパーマーケットでの買い物をする際、セミセルフレジが好ましいと考えています。なぜなら、働く側と購入する側の最適解を提供すると感じるからです。バーコードを機械に読ませるという操作は熟練した店員が一括して行い、お客によって速度に差が出る支払いは、複数の支払機に分散させて、お客ごとのペースに任せるという流れはレジの流れの現状における最適解なのではないかと思っています。
ところがセルフレジではこうはいきません。私自身がバーコードを機械に読ませる作業に慣れていないので手間がかかって仕方がありません。このように、自動化・(店側の)省力化によってイライラさせられる場面が増えているのも昨今の社会事情ではありますが、これから自身が年齢を重ねていって、これらに対応できるのか不安に思うときもあります。

自分自身の対応力に関して言えば、飲食店でのタブレット注文は今のところスムーズに対応できていますが、将来的に自分が高齢になったときに、更に複雑化するシステムに対応できるかどうかは未知数です。先日、カラオケに行った際も、メニューの情報量の多さに戸惑いを感じました。情報量が増えることは、便利さを増す一方で、ユーザビリティの観点からはさらなる工夫が必要だと感じます。

特に、タブレット注文などではよりユーザーの要望する文脈に沿った設計が必要でしょう。

例えば、牛丼屋での体験を考えてみましょう。顧客が「牛丼店内で食べたい」と思っても、券売機が「どこ何を食べますか?」という文脈で問いかけるインターフェースは、ユーザーにとっては自分の要望の文脈をぶった切られて、直感的でなく理解しにくい場合があります。

このような、店側や開発側の都合を優先したと思われる設計は、利用者にとって不快感を与える原因となることがあります。

推測するに、タブレット注文において不快感を感じる人々は、自分が注文する際の文脈の流れが中断されることに不満を感じているのではないでしょうか。このように、技術が進化するにつれ、各ユーザーの個別のニーズに対応するための工夫は、より重要になっています。

最近読んだニュースでは、セルフレジやスマホを利用した注文に対する疲れや不満の声が多く挙がっています。これは、テクノロジーの利便性と、それに伴う負担の増加という、二つの側面を示しています。特に、身体的な障害を持つ人や高齢者にとっては、これらのシステムが大きな負担になることがあり、社会全体でユーザビリティへの配慮が求められています。

セルフレジにスマホ注文「疲れる」の声…身近なIT化の落とし穴とは

https://news.yahoo.co.jp/articles/707668d2ab5c30338e555ba5a9f97db60880dd8e?page=1

個人的には、テクノロジーの進化によって生活が便利になることは歓迎すべきことですが、同時に、それがすべての人にとって使いやすいものであるべきだと思います。将来的には、より直感的で、使いやすいインターフェースの開発が進むことを願っています。上記は言うは易しだが、機械ややインターフェースの開発が(予算的にもリソース的にも)大変でしょうが、それによって、私たちはテクノロジーの恩恵をより公平に享受できるようになるでしょう。

このニュースに触れたことで、テクノロジーとユーザビリティのバランスについて、改めて考えさせられました。私たちが目指すべきは、すべての人が快適に利用できるテクノロジーの進化であり、そのためにはユーザビリティへの配慮が欠かせません。増え続ける情報量と選択肢をどのようにさばいていくのでしょうか?

これまでは人間がやっていましたが、それらが機械、そしてAIが代替するという道筋のひとつの流れの中での事象なんでしょうね

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