今日、5月25日はミミの命日でした。
17年間、一緒にいた猫です。亡くなってから、もう5年が経ちます。命日のたびに「もう5年か」と思うのですが、その「もう」が不思議な感覚で、長いような短いような、時間の感覚が少しずれる気がします。
ミミは三毛猫でした。白・オレンジ・黒の三色が体中に散らばった、いわゆるカラフルな猫です。スコティッシュフォールドで耳が折れていて、その見た目と裏腹に、かなり存在感の強い猫でした。体が小さくなっても、目だけはずっと力があった。
猫の17年は、人間に換算するとかなりの高齢になります。ミミも晩年は足が弱くなり、ジャンプが難しくなっていました。それでも毎朝、決まった時間に起こしに来た。習慣というのは、そういうものだと思います。体が弱っても、毎朝の起こし行為だけは欠かさなかった。猫ながらに律儀なところがありました。
17年というのは、自分の日常の中にミミが存在しない時期がほとんどなかったということです。引っ越しも、転職も、いろんな季節の変化も、ずっとミミがそこにいた。それだけ長くいると、存在が当たり前になる。当たり前になった存在がいなくなったときの感覚は、予想とは少し違うものがありました。
亡くなったとき、泣かないだろうと思っていました。老齢で、覚悟もしていたし、十分に生きた。でも実際には、思っていた以上に時間がかかりました。家の中から「猫の気配」が消えたことの、あの静けさ。音がないのではなく、ある種の存在が消えた静けさ、というものがあるんだと思います。そこに座っていた、そこで寝ていた、という場所の記憶が、しばらくの間、消えませんでした。
特に、ソファの左端が空いたままの感じが続いていました。ミミがいつも陣取っていた場所で、最初はそこに座れなかった。今は普通に座れるようになったけれど、5年経ってもたまに思い出します。それはたぶん、いいことなんだと思います。
亡くなって2年が経ったころ、友人から保護猫の話を聞きました。引き取り手を探しているということで、最初は「うちにはちょっと」という感じでした。でもなぜか、気づいたら話が進んでいて、いつの間にか家に来ることになっていた。みたらし、という名前はそのとき一緒に考えたものです。
みたらしは長毛の三毛猫です。白・オレンジ・黒グレーの三色が長い毛の中に複雑に混ざり合っていて、後ろから見ると尻尾まで柄が続いている。その尻尾が立派で、猫自身の体の半分くらいある。存在感という点では、ミミに負けていません。
保護猫を迎えることへの複雑な気持ちもありました。ミミの代わりではない、という意識が強くあって、新しい猫を迎えることへの罪悪感のようなものがあった。でもみたらしは、そういうこちらの気持ちには最初から無頓着で、当然のように居ついてしまいました。猫とはそういうものかもしれません。こちらの感傷に、一切関与してこない。
保護猫を迎えるにあたって、いくつか本を読みました。保護猫は成猫であることも多く、いわゆる「子猫から育てる」とは少し違う関係の始まり方をする。それを事前に知っておくかどうかで、受け止め方がかなり変わると思います。
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みたらしが来てから気づいたのは、二匹とも三毛猫だということでした。
白・オレンジ・黒グレーの三色。その組み合わせが同じで、ミミはショートヘアで色がはっきり分かれていて、みたらしは長毛なので色が混ざり合ってぼんやりと広がる。全体の印象は違うけれど、見ているうちに重なってくる部分がある。特に頭のてっぺんから耳にかけての黒グレーのゾーンが、ほとんど同じ配置なんです。
それからというもの、そこに特別な意味を見出したくなる気持ちを、何度もたしなめました。そういう話にしてしまうのは自分の感傷だとわかっているから。でも、それでも少し、ミミがそこにいるような気持ちになることがある。後ろ姿が重なることがある。最近は、それはそれで、いいのかもしれないと思うようになりました。無理に分けることもない、と。
みたらしが来て3年が経ちます。今では完全に、欠かせない我が家の一員です。
気を許した猫はお腹を見せて寝ます。みたらしはよく仰向けになって、手足を投げ出して寝る。警戒心がゼロの、あの寝方。三毛の模様が体中に広がって、長い毛がふわっと広がった状態で転がっている。それを見ると、ああ、ここが安心できる場所なんだなと思います。
足の上で寝ることも多くなりました。最初は「そこは寝にくいだろう」と思っていたのですが、構わずに来る。動けなくなるので不便なのですが、不思議と悪い気はしない。ミミも晩年はよくそういうことをしていたので、その感覚が重なることがある。
ミミのことを考える時間は、以前より少なくなりました。悲しみが薄れたというより、日常の中に別の猫の気配が満ちてきた感じ。みたらしが窓の外を見ている後ろ姿を見ながら、そういえばミミもこういうことをしたな、と思うことがある。比べているのではなく、つながっているような感覚です。
こうやって人生は続いていくんだろうな、と最近よく思います。
誰かが来て、誰かがいなくなって、また誰かが来る。悲しみも喜びも、どちらかで終わるわけではなく、交互に続いていく。それが嫌なわけではないし、むしろそういうものだと受け入れれば、どちらも少し楽に向き合えるような気がしています。
若いころは、喪失を乗り越えなければいけないものと思っていました。でも最近は、乗り越えるというより、一緒に抱えて続ける、という感じに近いと思っています。ミミのことは今でも思い出すし、それでいいと思っています。
みたらしはいつもどこかで寝ているか、外を眺めているか、ごはんを要求しているか。そういう猫の在り方が、なんとなく人間よりも正直な気がして、それが居心地いいんだと思います。昨日の命日も、みたらしはいつも通りでした。それが、ありがたかった。
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