ここのところ、仕事中のBGMが手嶌葵一色になっています。
朝にPCを開けて音楽を流し始め、気づけば夜まで同じアーティストを聴き続けている。それで飽きないということ自体が、正直少し不思議だと思っていました。どんなに好きなアーティストでも、一日中聴いていると「もういいかな」という感覚が来る。それが手嶌葵だと、来ないんです。なぜだろう、と少し考えてみました。
最初に気づいたのは、「歌詞が頭に残らない」ということでした。
これは悪い意味ではありません。仕事をしながら音楽を聴いていると、歌詞が思考に入り込んでくることがあります。言語情報が言語処理の邪魔をするような感覚。だから仕事中はインストゥルメンタルの方が集中できる、という話はよく聞きます。でも手嶌葵は日本語の歌詞があるのに、それが起きない。
たぶん、声そのものが音として機能しているんだと思います。日本語を伝えようとしている声というより、ある種の楽器として鳴っている。音楽理論的なことは詳しくないので上手く言えないのですが、彼女の声には「主張」がない。強さがないということではなく、声が何かを押しつけてこない。インストゥルメンタルを聴いているような感覚になる、というのはそういうことだと思います。
これは実は難しいことで、主張のない表現は「個性がない」ということと紙一重です。でも手嶌葵の声は個性がないわけではない。むしろ強烈に個性的なのに、それが主張になっていない。この矛盾めいた感覚が、飽きない理由の一つだと思います。声が前に出てくるのではなく、こちらが声の中に入っていくような感じ、とでも言えばいいでしょうか。
そもそも、音楽に飽きるのはなぜでしょう。
特定のリズムやメロディが予測可能になってきたとき、脳はそれを「もう十分に処理した」と判断するのかもしれません。あるいは、強い感情的な主張を持つ音楽は、一定時間聴くと「もうその感情は受け取った」という感覚になるのかもしれない。どちらにせよ、飽きというのは脳の処理が飽和することで起きるのだとすれば、飽きない音楽とは、処理しきれないほどの余白を持っている音楽なのかもしれません。
手嶌葵の音楽には、「感情の押しつけ」がないと思います。悲しい曲でも、こちらに「悲しめ」と要求してこない。静かに、ただそこにある、という感じ。だから聴き続けても疲れないし、飽きも来ない。音楽が環境になっているというか、空気のように馴染んでいる。こういう音楽の存在は、改めて貴重だと思いました。
最近よく聴いているのは「Simple is best」というアルバムです。タイトル通りの、装飾を抑えたアレンジで、彼女の声の性質がよく出ていると感じます。派手さはないけれど、何度聴いても飽きないというのはこれだろう、という気がします。
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手嶌葵を最初に知ったのは、ジブリ映画「ゲド戦記」でした。「テルーの唄」を初めて聴いたとき、声の透明感に驚いた記憶があります。映画の内容よりも、あの歌の方が記憶に残っています。映画が好きとか嫌いとかではなく、声がスクリーンの外まで染み出してくるような感じがしていたんだと思います。
それから何年も経ってから、改めてCDを聴いてみると、デビュー当時から一貫した声の質があると気づきました。年月を経ても変質していない、というのは珍しいことだと思います。多くの歌手は、年齢や経験とともに声の表情が変わっていく。それは成長でもあるわけですが、手嶌葵の場合は根っこの部分が変わっていない。ブレがないというか、最初から完成されていたような印象があります。
「La Vie En Rose」のような映画・ドラマ主題歌を集めたアルバムを聴くと、彼女の声が様々な物語の空気を纏ってきたのがわかります。歌手としての技術よりも、場の空気と馴染む能力が卓越しているのかもしれません。それぞれの物語の色を持ちながら、声そのものは変わっていない。それが聴いていて安心感につながっているのかもしれません。
仕事中のBGMという文脈で書いてきましたが、夜に改めて聴き直してみると、また違う聴こえ方をします。
昼間は「流れている」感覚だったものが、夜は「届いてくる」感覚になる。同じ曲なのに、こちらの状態によって受け取り方がまったく変わる。これは声の余白の大きさによるものかもしれません。解釈の余地を持ったまま鳴っているから、聴く側の状況によって意味が変わる。
これは、文章で言えば余白の多い文体に近いと思います。すべてを書かれてしまった文章は、読む側に入り込む余地がない。手嶌葵の歌い方には、感情を完全には埋めていない部分があって、そこに聴く側の感情が入り込める。だから昼間の「流れる時間」にも、夜の「向き合う時間」にも、同じように馴染む。ここに、一日中聴いても飽きない理由の核があるような気がしています。
音楽が好きな人ほど、音楽に「向き合う」ことを大事にする傾向があると思います。ちゃんと聴く、ということへの意識。でも、音楽には向き合わなくていいものもあるんだと、手嶌葵を聴くようになって改めて思いました。そこに在って、なんとなく流れていて、気づいたら長い時間が経っている。それで十分な音楽があることの豊かさ、というのは案外見落とされがちな気がします。
日常の解像度を上げるために特別なことをするのではなく、音楽がそっとそこにある。そういう在り方を、手嶌葵の音楽は教えてくれているような気がしています。まだしばらく、仕事中のBGMは手嶌葵が続きそうです。
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