饒舌なる静かな多様性論者のブログ

ショッピングモールでうんざりするのが、なぜか楽しい話

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先日、妻の友人の買い物に付き合って、ショッピングモールまで車で行きました。私の用事は散髪だけです。床屋を出たら、あとは妻たちの買い物が終わるのを待つだけでした。

特にやることがない状態でモールをぶらぶらしていたのですが、これが不思議と悪くなかった。「うんざりが楽しい」という感覚がありました。帰ってからもそのことをしばらく考えていました。なぜうんざりが楽しいのか、という問いです。

圧倒的な情報量に飛び込む感覚

ショッピングモールという場所は、モノと欲望が溢れかえっています。どのテナントも「見て、欲しがって、買って」という設計になっている。BGMがあり、照明があり、試食があり、セールの声がある。あらゆる方向から何かが飛んでくる。

目的がない状態でその中を歩くと、この圧倒的な情報量をそのまま浴びることになります。「現代社会のエネルギー」に無防備にダイブしている感じです。「うわ、すごいな……」と呆れながらも、その過剰さにどこか興奮を覚えている。うんざりと興奮が同時に来ている、あの感じです。

「無駄」を全力で使い切る贅沢

普段の私は、わりと効率を気にしながら動いています。早起きして、仕事の計画を立てて、決めたことを進める。そういう日常の中では、「目移りする」「迷う」「歩き疲れる」という行為は、できれば避けたいことです。

モールにいる間は、それが許されている。いや、むしろそれをするしかない状態です。意味のないショップを覗いて「これ、誰が買うんだろう」と心の中で突っ込んでみる。特に欲しくもないものを手に取って戻す。フードコートの端っこで、ただ座っている。

この非効率で疲れ果てる行為を、時間いっぱい使い切ることが、逆に充実感につながっている気がします。「余暇を余暇として使い切った」という感覚です。

一歩引いた目線でコンテンツとして眺める

しばらくすると、不思議と気持ちが切り替わる瞬間があります。喧騒の中にいながら、ふと一歩引いた目線になる。「みんな必死に買い物してるな」「この空間、異様だな」と、メタな視点で眺め始めるのです。

うんざりしている光景を、コンテンツとして楽しんでいる状態です。知らない家族が食事を選んでいる。お父さんがベンチで疲れた顔で座っている。子どもが何かをねだっている。自分とはまったく関係のない人間ドラマが、次から次へと流れていく。

このとき自分は完全に観客です。演じていない。参加していない。ただ眺めているだけです。その無関係な立場が、妙に楽です。

散髪後の温度差というスパイス

今回、うんざりを加速させた要素がもうひとつあったと思います。散髪が終わったタイミングです。

髪がさっぱりして、自分の中ではリフレッシュが完了しています。すっきりした頭で、用事も終わった状態です。でも目の前の景色は、まだ熱を帯びて延々と続いている。妻たちの買い物はまだ先があります。

この温度差が、うんざりを際立たせます。自分は「終わった」のに、場所が「終わっていない」。この位相のずれの中に放り出されている感覚が、漂流感をより鮮明にしてくれた気がします。

「誰かの物語の脇役」でいることの解放感

もうひとつ、気づいたことがあります。今日は「運転手」として来ている、という感覚です。

自分の意思で動くのではなく、誰かのために待機し、移動を支える。主役の物語が進む間、脇役として存在している。この「誰かの物語の脇役に徹する」状態が、日常の責任から解放されたような、不思議な開放感を伴っていました。

自分で何かを決めなくていい。選ばなくていい。自分の物語を進めなくていい。普段は常に何かを動かしている側にいるわけですが、今日だけは脇役でいい。そのことに、うんざりしながら、どこかほっとしていたと思います。

エンジンを切った瞬間の静寂

哲学者の國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』の中で、パスカルの言葉を引いています。「人間の不幸はただひとつのことから来る。部屋の中にじっとしていられないことだ」。退屈に耐えられないから、人は娯楽に逃げる。でもその娯楽は本当の休息ではないかもしれない、という話です。

モールでぼんやりしていたあの時間は、娯楽に逃げてもいなかったし、かといって何かを生産してもいなかった。ただうんざりしながら、その場にいた。それが逆によかったのかもしれません。

妻から「終わったよ」という連絡が来て、全員で車に戻りました。高速に乗って、家に着いて、エンジンを切りました。その瞬間の静寂がありました。

あの静寂は、モールの喧騒があったから際立っていたのだと思います。圧倒的な情報量を浴びて、非効率の中を歩き疲れて、脇役に徹して、最後に運転して帰る。それが全部終わった瞬間の「やり切った感」と「静けさ」は、散髪で頭が軽くなったこととも重なって、妙に鮮明でした。

うんざりは、ちゃんと消費されると、気持ちよくなるものなのかもしれません。

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