ある日、ふとした気まぐれでインターネットを駆使して昔の友人の名前を検索していたら、何年も連絡を取っていなかったその友人が、小さな町の市会議員になっていることを知り、私は驚きを隠せませんでした。
学生の頃バカな話に興じていた仲間が、今では公職に就き、地域社会のために貢献しているのです。
そのニュースは、私の心にさまざまな感情を呼び起こしました。
一方で、私自身は人生の大きな節目を迎えようとしています。
50歳に近づくにつれ、自分の職業やこれからの人生の方向性について、深い迷いを感じています。
昔の友人の成功が私にもたらしたのは、ただの驚きだけではありません。
それは同時に、自分自身の人生に対する深い省察を促すものでした。
彼のように社会に貢献し、明確な目標を持って進んでいる人を見ると、自分も何か大きなことを成し遂げたいという気持ちが湧き上がります。
しかし、その一方で、自分の進むべき道が何なのか、どのようにして自分の場所を見つけ出せばいいのかについて、絶えず迷いが生じています。
この内なる葛藤は、まるで人生の迷路にいるかのようです。
どの道を選んでも、その先に何が待っているかは分かりません。明るく開かれた道もあれば、暗く曲がりくねった道もあります。
時には進むべき道が見えてきたかと思えば、また別の分岐点に立たされ、選択を迫られます。
このぐるぐるとした迷いは、時には心を重くするものです。
この瞬間、私は人生の岐路に立っているように感じています。
一方では、昔の友人が着実に自分の夢を叶えていく姿を見て、刺激を受け、自分も何か新しい挑戦をしたいと思います。
しかし、他方では、これまでの人生の選択やこれからの不確かさに対する恐れもあります。自分の中にある迷いは、簡単には晴れるものではありませんが、一歩一歩歩いていこうと思いますし、鈍足ながらもそうやって生きていくしかないのだという、ある種の諦観のようなものも生まれてきたのも事実です。
このブログを読んでくださっている皆さんも、人生のある時点で迷いや不安を感じることがあるかもしれません。
しかし、それは自分を見つめ直し、成長するための大切な機会です。私たちの人生は、決して直線的ではありません。
曲がりくねった道、時には迷い込む道を経験することで、より深い自己理解に至り、真の意味での充実を得ることができるのではないでしょうか。