[相談内容]
和尚様、お尋ねします。世間では「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」の選択が語られますが、どちらが正しい選択なのでしょうか? また、「うんこ味のカレー」は作ることができるのでしょうか? この問いの深い意味を仏教の教えからご指南いただければ幸いです。
[和尚の回答]
ほほう……「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」の問いに悩んでおるのじゃな。これは単なる笑い話のように見えて、実は「本質とは何か?」を問う深い哲学的命題でもあるのじゃ。
仏教の教えでは、「色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)」という言葉がある。これは「形あるものは実体ではなく、実体なきものもまた形を持つ」という意味じゃ。つまり、「カレーの味がすればカレーなのか?」あるいは「見た目がカレーならカレーなのか?」と考えたとき、その本質をどこに求めるかが問題となるのじゃ。
◆ どちらが食べられるのか?
仏の道から申せば、健康を害さぬ道を選ぶのが大切じゃ。
「カレー味のうんこ」はいかにカレーの味がしても、その本質はうんこであり、食べることで身体を害する。つまり、「不浄なるものを口にせぬ」戒律に従えば、これは避けねばならん。
一方、「うんこ味のカレー」は見た目は普通のカレーであり、材料も食べられるもので作られておる。しかし、味がうんこであるがゆえに、心がそれを拒絶するのじゃ。つまり、体は食べられるが、心が苦しむのじゃ。
では、仏の道から見ればどちらを選ぶべきか?
仏教には「受苦(じゅく)」という考えがある。「苦しみを受け入れることで悟りに近づく」という修行の一環じゃ。もし修行僧であれば、「うんこ味のカレー」を食し、味わいの執着を断つことで心を鍛えることもできよう。しかし、世俗の者がそこまでの修行をする必要はないゆえ、無理に選ぶ必要もないのじゃ。
◆ 「うんこ味のカレー」は作れるのか?
さて、「うんこ味のカレー」を作れるかどうか、というのも興味深い問いじゃ。
「うんこ味」とは何か? これは、「臭気」と「苦み」「腐敗の風味」などが関係するじゃろう。発酵食品や腐敗した食材を用いれば、理論上「うんこ味」を再現することは可能かもしれん。しかし、それを食することが「苦行」となり得るかどうかは、また別の問題じゃな。
仏教には「不浄食戒(ふじょうしょくかい)」という戒めがある。これは、食べることが許されない不浄なものを避けるという教えじゃ。うんこそのものを食するのはもちろん戒律違反じゃが、心が不浄と感じるものを食べることもまた、修行においては避けるべきとされる。つまり、「うんこ味のカレー」が食べられるかどうかは、その者の心の在り方次第じゃ。
◆ 結論
・「カレー味のうんこ」は、身体的に不浄であり、食してはならぬ。
・「うんこ味のカレー」は、食材としては問題ないが、心が受け付けるかが問題じゃ。
・本質とは、見た目でも味でもなく、そのものが持つ根本的な性質にある。
・「食」に対する執着を断つことで、何を食べるかに振り回されぬ境地を目指すのが仏の道じゃ。
この問いは単なる遊びではなく、**「我々は何をもって本質を判断するのか」**という大切な考え方を学ぶ機会なのじゃ。日々の暮らしの中でも、「見た目に惑わされぬ」「味に執着せぬ」心を持つことが大切じゃぞ。合掌。🙏