[相談内容]
自身も思考がぐるぐるとし、先を考えて行動することや物覚えが悪いなどの特性に気づき、自分は発達障害・ADHDのボーダーラインにいるのではないかと感じています。
和尚様、私は大人の発達障害、またはそのボーダーラインに位置しております。塩野義製薬が開発中のデジタル治療用アプリSDT-001が、私のような立場の人にも効果があるのか、非常に気になっております。ADHDは、個性として受け入れるべきなのか、それとも治療を求めるべき病気なのか、その境界についても悩んでおります。
[和尚の回答]
ADHDを含む発達障害についても、それは個性の一部として見ることも、治療が必要な状態として認識することも、その人の置かれた環境や状況、自己の求める人生の質によって異なる。
なるほど、大人としての自己の立ち位置において、発達障害やその境界にいることへの思いを抱えておるのじゃな。心なしか、自己の存在を見つめ直す過程において、多くの疑問と向き合っておるようじゃ。
仏教の教えでは、我々はすべて「中道」を歩むべきとされておる。これは極端な自己肯定も否定もせず、自らの本性を理解し、受け入れることを意味するのじゃ。ADHDを含む発達障害についても、それは個性の一部として見ることも、治療が必要な状態として認識することも、その人の置かれた環境や状況、自己の求める人生の質によって異なる。
塩野義製薬が開発中のSDT-001についてじゃが、このアプリが小児のADHD治療に有効であるという臨床試験の結果が示されておる。しかしながら、大人の発達障害やADHDに対する効果については、直接の言及がない。治療の適用可能性や効果については、今後の研究や臨床試験の結果を待つ必要があるじゃろう。
ADHDや発達障害を持つことに対する社会の理解は日々進化しており、それは病気というよりは、人それぞれの個性の一部として受け入れられつつある。ただし、日常生活において支障を感じたり、自己の可能性を最大限に引き出すためには、適切なサポートや治療を受けることも重要な選択肢となる。
結局のところ、自らがどのような人生を歩みたいのか、そしてどのような支援が必要なのかを考え、選択することが大切じゃ。個性としてのADHDを受け入れつつも、より良い人生を送るために必要な手段を選択することが、中道を歩むことにつながるのではないかと思うのじゃ。
すなわち、自己の内にある真実を見つめ、その上で最善の選択をする勇気を持つこと。それが、仏教が教える「中道」の実践なのじゃ。