年を重ねるにつれ、阪神大震災のような衝撃的な出来事も徐々に忘れてしまうようになりました。
東日本大震災から早くも13年が経過し、自分も中年になりました。若い頃は、災害のことを決して忘れないと思っていましたが、年を重ねるにつれ、阪神大震災のような衝撃的な出来事も徐々に忘れてしまうようになりました。原爆や大地震、豪雨、コロナ禍など、忘れてはならない出来事も時間が経つにつれて忘却の彼方に消えていくことに、複雑な気持ちを抱いています。
[和尚の回答]
重要なのは忘れたとしても、その災害から学んだ教訓を生活に活かし、未来のために役立てることじゃ。
悩みを抱えておるのじゃな、災害を忘れてしまうことに対しての。確かに、時間が経つにつれて人々の記憶から事件や災害が薄れていくのは自然なことじゃ。だが、仏教には「無常」という教えがあってな、「この世のすべてのものは常に変化し、永遠に不変のものはない」ということを説くのじゃ。
忘れること自体に罪悪感を感じる必要はないのじゃよ。人は新しい情報を絶えず学び、経験し、記憶は自然と選別されていく。しかし、重要なのは忘れたとしても、その災害から学んだ教訓を生活に活かし、未来のために役立てることじゃ。
また、「縁起」の教えによれば、全ての事象は互いに関連しあって存在しており、一つ一つの出来事が大きな繋がりの中で重要な役割を果たしているのじゃ。過去の災害を通して得た教訓は、未来の世代への教育や、災害への備えに活かされるべきじゃ。
ゆえに、記憶から消えゆくことに対して罪悪感を持たず、どうすれば過去の教訓を未来に活かせるかを考えることが重要じゃ。記憶を刻むのではなく、学んだ教訓を生かしていくことが、私たちにできる最善の方法じゃろう。
災害を忘れることに対する罪悪感から解放され、前向きに過去の教訓を活かす道を探求していくことが、仏教の教えにも照らし合わせて、あなたにとっての正道となるであろう。