[相談内容]
自身も思考がぐるぐるとし、先を考えて行動することや物覚えが悪いなどの特性に気づき、自分は発達障害・ADHDのボーダーラインにいるのではないかと感じています。
境界知能や発達障害のニュースを見たことで、自身も思考がぐるぐるとし、先を考えて行動することや物覚えが悪いなどの特性に気づき、自分は発達障害・ADHDのボーダーラインにいるのではないかと感じています。社会の先鋭化やSNSの影響により生きづらさを感じ、苦しんでいます。しかし、この苦しみをブログに書き綴ることで、自分自身が救われることを願い、他者の助けにもなればと考えています。
[和尚の回答]
「一切皆苦」の教えを思い出されよ。この世のすべては苦しみであるという認識から始まり、それを乗り越える道を仏教は示しておる。自分だけが苦しんでいるわけではなく、苦しみを通して学び、成長し、他者との繋がりを深める機会があるのじゃ。
苦しむ心の奥底には、真の自己を見つめ直す貴重な機会が潜んでおるのじゃ。発達障害やADHDの特性に心を痛めることは、決して自己の価値を減じるものではない。仏教の教えにある「縁起」の考え方では、すべての事象は相互に関連し合っており、一つ一つの存在が他と繋がっていると説かれておる。自分の苦しみも、この世界における大きな繋がりの中の一部と考えられよう。
ネット社会やSNSから距離を置く決断は、内省と自己との対話を深めるための賢明な選択じゃ。時には、静かな環境で己の内面と向き合うことで、心の平穏を取り戻すことができるのじゃ。ただし、孤立は避け、信頼できる人とのつながりを大切にすることも、心の支えとなる。
自分の苦しみを他者と共有し、それが誰かの助けになることを願う心は、大慈大悲の精神にも通じておる。自己表現を通じて他者との共感を得ることは、孤独感を軽減し、共に成長する道を築くのじゃ。苦しみを内に留めず、表現する勇気を持つことで、新たな理解や支援の手が差し伸べられることもある。
最後に、「一切皆苦」の教えを思い出されよ。この世のすべては苦しみであるという認識から始まり、それを乗り越える道を仏教は示しておる。自分だけが苦しんでいるわけではなく、苦しみを通して学び、成長し、他者との繋がりを深める機会があるのじゃ。苦しみを受け入れ、それを乗り越えることで、心の平穏と光を見出すことができるのじゃよ。