[相談内容]
ジムのロッカーや駐車場でわざわざ隣に来る人たち、いわゆるトナラーの存在に頭を抱えています。はっきり言って気持ち悪いです。
コロナ禍で社会がソーシャルディスタンスを重んじる時代になり、人との距離を取ることが一般的になりました。
この変化は私にとって非常に心地よいものでした。
しかし、コロナが一段落し、日常が戻りつつある今、ジムのロッカーや駐車場でわざわざ隣に来る人たち、いわゆるトナラーの存在が再び目立ち始めました。
彼らの行動理由が理解できず、どう対応すればよいのか悩んでいます。
[和尚の回答]
彼らの行動が、自分にとっての修行の機会であると捉え、彼らに対する怒りや不快感を手放すことで、心の平和を保つことができるのじゃ。
コロナ禍において人々との距離が自然と取られるようになり、その静けさと落ち着きを感じ取ることができたのじゃな。しかし、世の中が元の状態へと戻りつつある今、改めて人々の距離感の違いに戸惑うこともあるじゃろう。
仏教の教えには、「縁起」という考え方がある。すべてのものは互いに関連しあい、独立した存在ではないのじゃ。トナラーの行動も、彼らなりの縁や理由があってのこと。彼らの行動にイライラすることは、自分自身の心が外の世界に振り回されている証拠じゃ。
ここで大切なのは、自分の心の在り方を見つめ、内なる平和を保つことじゃ。他人の行動に一喜一憂せず、自分の心が平穏であるよう努めるのじゃ。例えば、ジムのロッカーや駐車場で隣に来る人がいたとしても、「この人もまた、何かの縁でここに来たのだ」と受け入れ、心の中で彼らに平和を願うのじゃ。
仏教では「慈悲」という教えもある。慈悲の心を持って、トナラーにも優しさを向けてみるのじゃ。彼らの行動が、自分にとっての修行の機会であると捉え、彼らに対する怒りや不快感を手放すことで、心の平和を保つことができるのじゃ。
結局のところ、世界や他人を変えることはできないが、自分の心の持ちようは自分で決めることができるのじゃ。この機会を利用して、心の平静を保ち、どんな状況でも動じない強さを身につけることじゃ。