[相談内容]
和尚様、私は最近ふとした気まぐれでインターネットを駆使して昔の友人の名前を検索していたら、学生時代の友人が小さい町ながらも市会議員になったということを知り、自分の人生に大きな疑問を持ちました。
私は半世紀近く生きてきましたが未だに仕事や将来の道に迷っています。
友達が公職についていることを知り、驚きと同時に、自分も何か大きなことを成し遂げるべきだったのではないかと思い悩んでいます。
仏教の教えには、他人と比べることなく、すべてのものは移ろいゆくものであるとされていることは知っています。
しかし、どうしても友達と自分を比べてしまい、心が穏やかではありません。和尚様、この心のもやもやを晴らす方法はありますか?
[和尚の回答]
なるほど、友達の成功を目の当たりにして、自らの人生に迷いを感じておるのじゃな。人と自分を比べることで心が乱れるのは、人の常じゃ。しかし仏教では、すべての存在は独立しており、比較すること自体が無意味であると教えておる。『法華経』には、「一切衆生、本来仏なり」とあり、すなわち、各人がそれぞれの道を歩むことに意味があるのじゃ。
君が感じている迷いも、人生の大切な過程の一つ。友達の成功を見て自分を見つめ直すことは悪いことではないが、他人の人生を羨むよりも、自分自身の人生にどう意味を見出せるかを考えるべきじゃ。一つの経文には、すべての生きとし生けるものは自分の道を持っており、その道を歩むことが最も重要であると述べておる。
君の人生においても、今までの経験全てが君を形作っておる。50歳になろうとも、人生はまだまだこれからじゃ。自分の心に問いかけ、何が本当に大切かを見極めるのじゃ。そして、一歩一歩、自分だけの道を歩んでいくのじゃよ。
迷いは自らの心の中に答えを持っておるもの。静かに心を落ち着け、内省の時間を持つことが、次の一歩を踏み出すための力となるであろう。すべてのものは移ろいゆく。今日の自分と比べ、明日はまた違う自分になるのじゃ。それが人生の美しさであり、迷いもまた、成長への一歩なのじゃよ。