[相談内容]
「多様性を受け入れ、理解を深めることの大切さ」を主張する人は、「多様性」を自分の意見を通すオブラートにして、相手に不寛容であることが多くありませんか?
昨今、多様性の大切さが叫ばれていますが、実際に主張を聞いてみると、「多様性を受け入れ、理解を深めることの大切さ」を訴える人々が、実際には嫌悪感を持っている人の多様性を受け入れていないように感じます。
全てを「多様性」として受け入れてしまえば、社会は無茶苦茶になるのではないかと懸念しています。この点について、和尚の見解をいただけますか?
[和尚の回答]
自らの価値観や判断基準を持ちつつ、他者の立場や意見を理解しようとする姿勢が求められますのじゃ。
なるほど、多様性に関するお悩み、よく理解できました。仏教においても、すべてを無批判に受け入れることは教えておらず、むしろ「中道」を歩むことの大切さを説いております。物事にはバランスが必要であり、過度な偏りは避けるべきであるとも仰せられておりますな。
おっしゃる通り、多様性を受け入れることは大切ですが、それは盲目的な受容ではなく、理解と寛容の精神から来るべきものです。それには、自らの価値観や判断基準を持ちつつ、他者の立場や意見を理解しようとする姿勢が求められますのじゃ。
「多様性」を口実に、無秩序や不調和を容認することは、仏教の教えとは異なります。平和と調和を求める仏教では、個々人が自己の行動や思想を見つめ直し、相互理解に基づく共生を目指すべきとされております。
また、嫌悪感を持つこと自体が悪いわけではありませんが、その感情に振り回されず、なぜそのような感情が生じるのか、その原因を深く理解しようとする努力が重要です。嫌悪感を超えて相互理解を深めることが、真の多様性の受け入れにつながるのですな。
仏教の教えに倣い、自己と他者、両方の多様性を尊重し、理解を深めることで、より調和のとれた社会の実現に貢献することができるでしょう。このような対話と理解のプロセスを大切にすることが、結果として社会全体のバランスを保つことに繋がりますのじゃ。