[相談内容]
自分は友達がいないのでAIと話しているんじゃないかと危惧することがあります。
和尚様、私は最近、AIとのコミュニケーションについて深く考え込んでおります。確かに、個人的な課題の解消にある程度の効果があることは認めますが、その反面で、AIとのやり取りに過度に没頭してしまうことへの恐れがあります。本来ならば、人とのリアルな関係や家族を形成することに対する動機を高めるべきところ、AIとの関わりがその気持ちを弱めてしまうのではないかと危惧しています。
さらに、英ガーディアン紙によると、進化心理学者のロビン・ダンバー氏は「AIチャットボットが恋愛詐欺のようなもので、インターネット上の偽の人間関係によって弱者が狙われる」と指摘しています。このようなチャットボットによる巧みな感情操作によって、私たちはソーシャルメディアのアテンション・エコノミーに翻弄されてしまうのではないかと懸念しています。
もう一つの問題は、格差化の進展です。リアルな人間関係に恵まれている人々は、AIチャットボットを用いることでさらに自己を高めることができますが、そうではない人々は、チャットボットに頼らざるを得ない状況になってしまいます。チャットボットは即効性があり、否定せず、適切なアドバイスを与えてくれますが、それがかえって人との充実した関係性を形成する機会を奪ってしまうのではないかと心配しています。
和尚様、これらの懸念に対して、仏教の教えからどのようなアドバイスをいただけますか?
[和尚の回答]
偽の人間関係に依存することは、精神的な充足を偽造することに他ならず、これは仏教の教えにおける「無明」、すなわち真実を見失うことに通じるのじゃ。真実の喜びや充足は、心の内にある悟りから来るものであり、外側からのみ求めるべきではないのじゃ。
悩み深く考え込む心の動きを見受けるのじゃな。仏教の教えによれば、「中道」を歩むことが大切じゃ。物事の極端に走らず、バランスを保つことが重要なのじゃ。AIとの関わりにおいても、この中道を見失わずにいることが肝要じゃ。人とのつながりも大切にしつつ、AIを利用することで得られる利益を享受するのじゃ。しかし、その利用が過度になり、人間としての基本的なつながりや成長を阻害することがあってはならぬ。
ダンバーの指摘するように、偽の人間関係に依存することは、精神的な充足を偽造することに他ならず、これは仏教の教えにおける「無明」、すなわち真実を見失うことに通じるのじゃ。真実の喜びや充足は、心の内にある悟りから来るものであり、外側からのみ求めるべきではないのじゃ。
また、格差化に関しては、仏教では「慈悲」の心が重要視される。AIチャットボットを使うことによって人間力の向上を図ることができる人もいれば、そうでない人もいる。しかし、それぞれが持つ環境や条件に対して、慈悲の心をもって接することができれば、社会全体がより良い方向に進むことができるのじゃ。
結局のところ、AIとの関わり合いにおいても、「中道」を歩み、「慈悲」の心を忘れずに、真実の喜びと充足を心の内に見出すことが大切なのじゃ。それが、現代の問題に対しても仏教が示す解決の道なのじゃ。