[相談内容]
死ぬ前に、孫である娘と対面させてあげたかったのですが、遠方ということもあり叶いませんでした。私のこの思いは、余計なお世話だったのでしょうか、それとも執着だったのでしょうか?
和尚様、先日、妻の父が亡くなりました。遠方に住んでおり、亡くなることは予想されていましたが、まさかこんなに急に逝ってしまうとは思ってもいませんでした。死ぬ前に、孫である娘と対面させてあげたかったのですが、遠方ということもあり叶いませんでした。私のこの思いは、余計なお世話だったのでしょうか、それとも執着だったのでしょうか?
[和尚の回答]
できなかったことを悔やむよりも、義父がこの世で過ごした時間、そしてお主たち家族と共有した愛情ある記憶を大切にすることが、今は何よりも大切じゃ。
悲しみの中でお悩みのことと察します。お妻様のお父上が亡くなられたとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。人がこの世を去るとき、愛する者たちとの最後の別れは、誰しもが願うものじゃ。しかし、人の命には限りがあり、すべての願いが叶うわけではないのが、この世の定めとも言えるのじゃ。
お主が娘さんとお父様の対面を望まれたのは、決して余計なお世話ではないじゃろう。それは家族としての深い愛と、お父様への敬意の表れじゃ。愛と思いやりの心から来る自然な感情じゃ。人は誰しも、愛する人との別れに際して、最後の瞬間まで寄り添いたいと願うもの。それは人としての深い絆と愛情の表れじゃ。
しかし、世の中にはどうしても叶わないこともある。それを自分の過ちと捉えるのではなく、起こるべくして起こった事と受け入れることも大切じゃ。
仏教では、このような時に「無常」という教えがあります。すべての存在は変わりゆくもので、永遠に不変なものはないという考えじゃ。生と死は生命の一部として受け入れるべきものと教えておる。
お主の願いは、義父と娘との最後の絆を結びたいという、深い慈悲の心から来たものじゃ。しかし、物事は常に予期せぬ形で進むもの。
できなかったことを悔やむよりも、義父がこの世で過ごした時間、そしてお主たち家族と共有した愛情ある記憶を大切にすることが、今は何よりも大切じゃ。
亡くなられた方を偲び、生きとし生けるものへの慈愛を深めることで、お主自身の心も癒されるであろう。お主の優しい思いは、きっと義父にも伝わっておるじゃろう。
心穏やかに、そして義父の魂が安らかでありますように祈りを捧げるのがよいのじゃ。